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お名前: やまだ   
ここらで一服、お茶でもと言う感じのようですので、昨日、恵比寿に行きドキュメンタリー映画を見てきましたのでご紹介。
一人の人生を感じることが出来ます。
『テルミン』は、ロシアの天才物理学者レフ・セルゲイヴィッチ・テルミン博士の生涯に迫ったドキュメンタリーである。これはラブ・ストーリーであり、スパイの物語であり、人間に対する残忍な行為への道徳的批判であり、そしてこの世のものとは思えないあの音が呼び覚ますノスタルジーである。
■テルミンって?■

テルミンとは、1920年にテルミン博士が発明した、手を触れずして演奏をするという衝撃的な楽器であるテルミン(Termen/Theremin)は1920年、ロシアの物理学者にしてチェロの名手だったレフ・セルゲイヴィッチ・テルミン氏により発明された世界最古の電子楽器。
 テルミンには既存の楽器にみられる鍵盤や指盤が存在せず、代わりにアンテナが二本、垂直、水平方向に備わっている。アンテナの周囲には微弱な電磁場が形成されており、演奏者はアンテナに対し手を近づけたり遠ざけたりすることによりこれを干渉する。電磁場の変化は楽器内部の発振器に作用し、結果、身体の動作により音高や音量の変化を導きだせるのである。ピッチ(音の高さ)を決める拠り所は演奏者の耳にしか求めることができず、一般に演奏法習得は困難とされている。
 しかし熟達した演奏者によれば、昨今の電子楽器では決して得られない、温かい音色感や表現力豊かな演奏も可能となる。上手いも下手も、奏者の個性や心理まで如実に音に反映してしまうテルミンは”残酷な”楽器であるとも言えるが、それは裏返せば人間に任されている部分が多いことに他ならず、弾きこなした際にもたらされる音楽的興奮、演奏する歓びは昨今の画一化した電子楽器では得難いものであるといえる。)。これが世界初の電子楽器の登場で、のちに進化して“シンセサイザー”が誕生した。
どんな音かというと、よく知られているのは昔の恐怖映画やSF映画に使われている、ヒュルルル〜という効果音。『テルミン』の公式HPで、“バーチャルテルミン”を演奏できるのでぜひ!!試してみて!

■天才奇人テルミン博士■

1896年に生まれたテルミン博士は、自分がこの世に産み落とされたときの不快な光を覚えている!(もうこの時点で普通の人じゃないということが感じられますね!)“テルミン”を発明したのは、1920年のこと。1922年にはレーニンの前で電子楽器テルミンを演奏するなど、仲間と共に世界にテルミンを広める。またテルミン博士は楽器だけではなく、警報装置、盗聴器、軍事レーダー、超過敏探査機械なども発明している。どれほど天才か分かり易い例えとして、1926年、当時では最高水準の機械・光学式テレビジョンを開発する!
映画『テルミン』の軸として描かれるテルミン博士の数奇な運命。米ソ冷戦という時代の渦に翻弄されるが、その間にも発明を繰り返していた。晩年には、不老不死の研究を行っていたというから驚き!しかし、誰も出資をする人が現れず成し遂げられなかった。テルミン博士だったら、きっと不老不死すら可能にしていただろうに!また、驚くべきことはテルミン博士は、ロシア人の平均寿命をはるかに超える97年という生を与えられた人なのです(1993年没)。

■テルミンに魅せられた人々■

レーニンをはじめ、スターリン、チャップリン、ヒッチコック、エド・ウッド、レッド・ツェッペリン、ビーチ・ボーイズらがテルミンの不思議な音色に魅せられ、日本においても小山田圭吾、藤原ヒロシらがテルミンに魅せられ購入している!また、“シンセサイザー”を製作したロバート・モーグ(写真右)は、自らもテルミンを演奏する。そして、この映画『テルミン』を監督したスティーヴン・M・マーティンは、テルミンの音色と、そしてテルミン博士自身を心から愛してやまないのだ。私がこの映画の製作を始めた時、一部の変った音楽ファン以外にテルミンを知る人はほとんどいなかった。その当時テルミンは世に知られてない、謎めいた楽器だったからだ。幼少時代に見たSF映画やテレビ番組によく使われていたのでテルミンがどんな音色を出すかは知っていたが、それが一体どんな楽器なのか、ましてや触れずして音が出るとは知る由もなく、キーボードかノブで操作するシンセサイザーか何かかと思っていた。
 1989年1月クララ・ロックモアとの約束をこじつけた私は、ある映画のサントラに曲を提供してもらうため会いに行った。しかし独特な香りのロシアンティーを飲んだからか、テルミンを弾かせてもらってその虜になったからか、それともただ単に彼女の人間的な素晴らしさに魅せられたからか、私はその場で彼女とテルミンについての映画を撮ろうと決意した。
 このような形で、21世紀になって自分がこの映画について書くなど夢にも思っていなかった。私はこの映画を通して、映画の持つ影響力とレオン・テルミンの波乱万丈の人生を後世に残したいという世界中の人々の想い、いや、渇望を感じた。
 テルミンの人生はいろいろな意味で20世紀のいい面と悪い面を両方物語っている。科学技術の進歩と、前向きな生き方がもたらす可能性、そして、国家統制主義の限界に至るまで、それぞれの場面でテルミンは常に鳴り響いていた。また、私がこれを日本公開に向けて書いているというのも皮肉である。巨匠黒澤明監督によれば「言葉で表現できるのであれば映画にする必要はない」のである。「テルミン」はまさにそういう映画だ。テルミンの音なくしてこの映画については語れないのである。
 監督が自分の映画について語ると、どうしても自惚れているように思われる。しかし実際は意図していなかったことが良かったり、逆に計画していたことが失敗に終わるというのはよくある話で、100%自分の満足できる仕上がりというのはまずない。「テルミン」ではそれが110%くらいの仕上がりだった。その出来栄えに一番驚いたのは自分だった。映画を観る人にはいつも、気持ちを楽にして映画に身を任せて下さいとアドバイスする。リラックスして、映画の中の別世界を堪能して下さいと。これはラブ・ストーリーであり、スパイの物語であり、人間に対する残忍な行為への道徳的批判であり、そしてこの世の物とは思えないあの音が、胸につまったいろんな感情を懐かしく呼び覚ますノスタルジーである。 

■『テルミン』は、8月11日(土)より恵比寿ガーデンプレイスにてロードショー!(全国順次公開)
1993年/アメリカ映画/カラー/1時間23分/配給:アスミック・エース

恵比寿	恵比寿ガーデンシネマ	03-5420-6161	8月11日〜
大阪	梅田ガーデンシネマ	06-6440-5977	9月上旬
愛知	ヘラルドシネプラザ	052-241-0936	10月6日〜
金沢	シネモンド	076-220-5007	10月6日〜
兵庫	アサヒシネマ	078-221-5588	時期未定
京都	京都朝日シネマ	075-255-6760	時期未定
福岡	KBCシネマ	092-751-4268	時期未定
[2001年8月27日 10時23分29秒]

お名前: 匿名   
>#一度、『神との対話』についての匿名さんの感想を是非ご披露して頂きたいと
>思っています。
大変申し訳ありませんが、現在それを入手できる環境にないので、落手し読んだらいず
れ書き込みさせていただきます。
[2001年8月22日 23時15分30秒]

お名前: 匿名   
なんでか分かりませんが、二重書き込みになってしまいましたね。というわけでオーナー殿、片方消しておいていただけますか。

それはともかく。
> 匿名さんへ(以下略)
私がお願いしておいた質問に何一つ答えることなく、自己弁護を繰り返すその姿勢は見
苦しいの一言につきます。いや、見苦しいよりもひどいか。

>あなたは「カレーライスが好きだ]ということと「神を信じる」が同列になると発言さ
>れていましたが、これこそが言葉を弄ぶということになりませんか。
誤読ですよ〜。
あなたが説明しないと命題論理の上では「同列になる」から、説明してください、と書
いていたのに。

>あなたは、神の存在証明の有無は、まったくあなたの倫理的立場に影響しないと
>発言しておられましたが、この発言にあなたの存在の基礎があるように見えます。
>わたしが「言葉をもてあそんでいる」という意味は、あなた自身の存在と言葉が
>乖離していないか、という意味です。
聖書をお読みになれば分かるように、存在は言葉であります。だから何度もお尋ねして
いるように、どの点において「乖離している」のですか。私は少なくともあなたの書い
ておられることに誠意を持って答えていますし、にもかかわらずあなたが私の提出した
質問に一切無視を事実上決め込んでいることに対してはあなたの人格的問題を徹底的に
糾弾はしていません。態度は批判してますけどね。

これは「愛」ではありませんか?(笑)
[2001年8月22日 22時34分35秒]

お名前: 匿名   
>匿名さん、「自分の言葉」とは、書籍や文献、有名人の言葉などを一切引用しな
>いで、小学生や中学生でも理解できる易しい表現を用いて、日常生活で配偶者や
>子供、友人などに対して、いつも使っている「話し言葉」のことです。
私はこういう「話し言葉」で普段から話しているのですが(爆笑)。
そもそも、話し言葉というものは発話者によってコロコロその語彙内容が変化するもの
です。これは話者の勝手というものではない以上、間−主観的なものですが、なぜくど
くど説明しないかというと、それは一定の理解力を持った存在者として相手の知性を何
らかの形で少なくとも信頼しているからです。もし必要があれば全て答えられる範囲で
お答えしますし、「テメーで考えろバカ」などといって傲慢な逃げを打ったりはしま
せん。というわけで私の書き込みで(少なくとも)知識レベルでのご質問があれば何な
りとお寄せください。私なりの誠意を持ってお答えさせていただきます。

>匿名さんは、この場を哲学書の議論の場にしたいようですが、そんな議論は学者に
>任せておいてもっと、生の言葉を使って、哲学の本質を述べてみたらいかがでしょ
>うか。
哲学の本質とは何でしょうね。本質があれば、の話ですが。分かってたら勉強なんか汗
水流して本を読みつつ勉強する必要ありませんわな。『論理哲学論考』時代のヴィトゲ
ンシュタインみたいに。

>その強固な「鎧」を脱ぎ捨てなさいという酷な要求かな〜と感じておりますので、
>あまり無理をしないで下さいね。
鎧に見えますか。なんで鎧に見えるんでしょうね。私はアロハシャツのつもりなんで
すが。知人連中に言わせると「おまえと哲学の関係はフンドシとナニのそれに近い」そ
うですが。困ったなあ。象さんパォーンとしゃれ込みますか?(コラコラ)

>最後に、教訓をいくつか披露いたします。
おや。引用ですね。じゃあ私も。
「そうか。これが人生だったのか。ならばもう一度!」
「人間とは、乗り越えられるべきなにものかである」(以上ニーチェ)

「この束の間の人生を除いては、どこにも根源など、ありはしない」
「野蛮から人倫の完成に至る普遍史はなくとも、石斧から水爆へといたるそれはごもっ
ともすぎるほどに、存在する」
「アウシュヴィッツの後では、詩を書くことは、もはや野蛮ですらある」(以上アド
ルノ)

つづくかな?
[2001年8月22日 22時28分25秒]

お名前: 匿名   
>匿名さん、「自分の言葉」とは、書籍や文献、有名人の言葉などを一切引用しな
>いで、小学生や中学生でも理解できる易しい表現を用いて、日常生活で配偶者や
>子供、友人などに対して、いつも使っている「話し言葉」のことです。
私はこういう「話し言葉」で普段から話しているのですが(爆笑)。
そもそも、話し言葉というものは発話者によってコロコロその語彙内容が変化するもの
です。これは話者の勝手というものではない以上、間−主観的なものですが、なぜくど
くど説明しないかというと、それは一定の理解力を持った存在者として相手の知性を何
らかの形で少なくとも信頼しているからです。もし必要があれば全て答えられる範囲で
お答えしますし、「テメーで考えろバカ」などといって傲慢な逃げを打ったりはしま
せん。というわけで私の書き込みで(少なくとも)知識レベルでのご質問があれば何な
りとお寄せください。私なりの誠意を持ってお答えさせていただきます。

>匿名さんは、この場を哲学書の議論の場にしたいようですが、そんな議論は学者に
>任せておいてもっと、生の言葉を使って、哲学の本質を述べてみたらいかがでしょ
>うか。
哲学の本質とは何でしょうね。本質があれば、の話ですが。分かってたら勉強なんか汗
水流して本を読みつつ勉強する必要ありませんわな。『論理哲学論考』時代のヴィトゲ
ンシュタインみたいに。

>その強固な「鎧」を脱ぎ捨てなさいという酷な要求かな〜と感じておりますので、
>あまり無理をしないで下さいね。
鎧に見えますか。なんで鎧に見えるんでしょうね。私はアロハシャツのつもりなんで
すが。知人連中に言わせると「おまえと哲学の関係はフンドシとナニのそれに近い」そ
うですが。困ったなあ。象さんパォーンとしゃれ込みますか?(コラコラ)

>最後に、教訓をいくつか披露いたします。
おや。引用ですね。じゃあ私も。
「そうか。これが人生だったのか。ならばもう一度!」
「人間とは、乗り越えられるべきなにものかである」(以上ニーチェ)

「この束の間の人生を除いては、どこにも根源など、ありはしない」
「野蛮から人倫の完成に至る普遍史はなくとも、石斧から水爆へといたるそれはごもっ
ともすぎるほどに、存在する」
「アウシュヴィッツの後では、詩を書くことは、もはや野蛮ですらある」(以上アド
ルノ)

つづくかな?
[2001年8月22日 22時28分23秒]

お名前: 匿名   
まずお詫びせねばならないのは、お返事が遅れたということですね。これは詰問されても弁解のしようがないです。
一応弁解めいたことを言わせていただきますと、こちらに戻ってくるのが遅れた上に、帰宅した直後に知人(女性)が大家にアパートを乗っ取られて私物を一切合財捨てられてしまうというトラブルに見舞われたので、弁護士のところへ行ったりメンタル面でのケアをしたりなどでてんやわんやで、掲示板の一連のスレッドに腰を落ち着けて向かう時間がとてもなかったのです。今日あたりになってようやく後者の問題は何とかなりそうな気配になってきたので、こうして書き込みしているという塩梅です。

>間違っても、「私が説明するよりも、この本を読めば全ての真理が分かりますよ。」
>というようなことはなさらないように…。
そんなことはしません。どっかの誰かさんではありませんから(笑)
実際のところ、私の人格に対する見方はカントが「目的の王国」という語で示すものに
ほぼ集約されます。これはどういうことかと言いますと、人格をもった存在者としての
人間を決して道具(=手段)として扱うのではなく、人格そのものに対して直面して己
の生き方を示せ、というものです。ごく大雑把に言えば。これを導きの糸として私はレ
ヴィナスの倫理というものを今はひとつの考えるベースにしています。これは他者の固
有名としての性格を極限まで追求したもので、人格の還元不可能性、概念化不可能性、
そしてそれにも関わらず要求される「身代わり」としての倫理を提唱しています。確か
にレヴィナスの倫理はヘタをすると他者を神の如く物象化するという危険性があり(ブ
ランショは実際このように批判しています)、それはそれで考えなければなりませんが。

で、なぜカントを読めと言っているのかというと、ピコ・デラ・ミランドーラやルソー
に淵源を持つ、近代の人格及び理性に関する考え方というのがほぼ彼に集約されると私
は考えるからです。いわゆる「ポストモダン的」なトランスパーソナル心理学なんかは
それを鵜呑みにする前にまずカントを読んでその摘要だけでも理解せい、というのは私
の率直な感想です。
だから知識を持って話をせいゴルァ!ということをただバリゾーゴンとして怒鳴ってい
るわけではなく、前提となる思想そのものに対してのパースペクティブを持つべきでは
ないか、というのが私の提出したプロブレマティークなわけです。

つづく。
[2001年8月22日 22時13分36秒]

お名前: オーナー   
みなさん 失礼いたしました。
 あわて者の性格ももっているオーナーでした。
 それにしても 論議で人を理解するのは難しいね。たしかに理性の断片は
 切り取られて見えるけど。30年間も同じ屋根の下にいても 互いに理解不能
の面が多く存在する私など、理性の光はなかなかハートには届かないようです。
かといって決して理性を軽視しているわけではありません。
 たんに ケアレスミスを犯したまでです。
[2001年8月6日 23時18分35秒]

お名前: プラトン   
フカツさんor fukatuさんorオーナーさん へ

先程のフカツさんの投稿は、「お名前」欄に「題名」が書かれており、投稿者の名前が抜けて
おります。
レスの掲示板にも「題名」欄を入れたら、このような事を防げるかと思いますが、オーナーさん
ご検討願いますね。

当面は、最初の一行目を「題名」欄をにしたらいかがでしょうか?
[2001年8月6日 18時17分54秒]

お名前: プラトンさん&匿名さん   
お二人の身にしみる御指摘と有益なアドバイスありがとう!
 「愛を知るものは語らず」とは実にそのとおりですね。
 ですから、HPで別にかかげている「ラブ・タイムス」なるものを
はじめた時は、そうした自責の念を感じたものです。

 「自分の言葉で」という趣旨は、プラトンさんがまったく私の言いたいことを
代弁して下さったので、再論はしません。

 匿名さんへ
あなたは、神の存在証明の有無は、まったくあなたの倫理的立場に影響しないと
発言しておられましたが、この発言にあなたの存在の基礎があるように見えます。
わたしが「言葉をもてあそんでいる」という意味は、あなた自身の存在と言葉が
乖離していないか、という意味です。
 あなたは、私の行動と日頃表明している愛や神の存在と、矛盾するではないか
との指摘ですが、矛盾というより道を求める求道者の姿勢だと理解していただけ
ればうれしいですが。
 すくなくとも私にとって「神が存在するか否か」は観念上の問題ではなく、おお
げさにいえば生存と深く関係している重大事です。あなたは「カレーライスが好きだ]
ということと「神を信じる」が同列になると発言されていましたが、これこそが言葉を
弄ぶということになりませんか。
 言葉を厳密に使うことをもって職業としているあなたに論理的な論証で勝ち負けを
いどむつもりははなからないですが、神の存在証明が両用(肯定も否定もできる)と
いう観念の世界では人はいきていません。
 きっと これも厳密には言葉が足らない可能性が大ですが、知識としての神は私には
まったく無用です。 愛がそうであるように。 
[2001年8月6日 16時27分11秒]

お名前: プラトン   
2回に分けた効果が出たようです。
やはり、文章の容量が多いと、一回では送信出来ないことが判明しました。>管理人さん

匿名さん、「自分の言葉」とは、書籍や文献、有名人の言葉などを一切引用しないで、小学生や
中学生でも理解できる易しい表現を用いて、日常生活で配偶者や子供、友人などに対して、いつ
も使っている「話し言葉」のことです。

まさか、自分の家族に対して、『純粋理性批判』に書いてある難語を使って話しかけたりは
してないかと思いますが・・・。(笑)

自分の考えを発表することは、何も哲学書を引用しなくても、普段使っている易しい言葉で充分
可能だと思います。

しかし、匿名さんの場合は 沢山の哲学書を「鎧」にして自分の身を守っているようですので、
匿名さんに対して、一切の書籍や文献を引用するなということは、その強固な「鎧」を脱ぎ捨て
なさいという酷な要求かな〜と感じておりますので、あまり無理をしないで下さいね。

いきなり全部の「鎧」を脱ぎ捨ててしまいますと、夏風邪を引いちゃうかもね。(笑)
だけど、匿名さんの「鎧」を脱いだ後の中身も見てみたいですね。

匿名さんは、この場を哲学書の議論の場にしたいようですが、そんな議論は学者に任せておいて
もっと、生の言葉を使って、哲学の本質を述べてみたらいかがでしょうか。

「人間とは何か?」、「人生とは何か?」、「宇宙とは何か?」、「神とは何か?」、「人間は
何処から来て、何処に行くのか?」このような「哲学の永遠のテーマ」について 一切の引用
無しで、匿名さんの生の言葉で語って欲しいものです。

>さて、私はオーナー氏を責めているわけではありませんし、糾弾しているわけでもあり
>ません。ただ、彼が日頃口になさっている「愛」とか「神」とかと、彼自身の実際の行
>動があまりにも乖離しているのに疑義を感じたまでです。

そうですね、オーナーの発言と行動が一致してないというのは、彼の日記を読んでいる人なら
誰でもがそのように感じているかと思いますが・・・。

ただ、皆 優しい人ばっかりですので、それを誰も口にしなかったのでしょうね。
しかし、発言と行動が一致しないというのは 誰でもが身に覚えがあることだと思いますが。

匿名さんも、身に覚えがあるのではないのでしょうか?

他人の過ちを指摘しても、何の収穫もないですよ。
それよりは、「他山の石」として、自分の「教訓」に付け加えたらいかがでしょうか。
または、欠点探しよりは、「いいこと探し」の方が楽しく建設的かと思いますが。

人生に生じる全ての出来事は、すべて「祝福」と「教訓」しかないのです。

最後に、教訓をいくつか披露いたします。

老子曰く、「知るものは語らず、語るものは知らず」

凡人曰く、「知るものは引用せず、引用するものは知らず」

凡人曰く、「知るものは難語を用いず、難語を用いるものは知らず」

凡人曰く、「愛を知るものは愛を語らず、むやみに愛を語るものは愛を知らず」
[2001年8月6日 15時53分3秒]

お名前: プラトン   
昨日から何回も送信を試してみましたが、容量が多い為か成功しませんでした。
という訳で、今回は2回に分けて送信してみます。

匿名さん、レス有難うございます。

>私が回りくどく説明するより直接本を当たってみて欲しい、というのが私の本意です。
>示した本はいずれも入手が極めて平易ですし、読むのにも各種ガイドを使えばそれほど
>骨は折れません(それでも『純粋理性批判』はかなりハードですが)。そんな何万円も
>する本を買えといっているわけではありませんし。
>というのも、私があれやこれやと説明するよりも、それらの原典の方がはるかに私の言
>葉よりも洗練され、優れているからです。そしてそれらに当たることによって私による
>二次的説明よりも得るところが大きいからです。エピグラフが存在するのもその為でし
>ょう。
>ところで、自分の言葉って、何でしょう?

匿名さんは、何か大きな誤解をされているように感じますが。

例えば、『純粋理性批判』などという哲学書は、あくまでも著者の思想が書かれているだけ
で、その著者の思想が 匿名さんの思想と全く同じということはないかと思いますが。
そして、匿名さんが引用する哲学書が、万人が認めている憲法のような存在になっている
訳でもないかと思います。

それから、ある本を読めば、その本の内容を理解できるように考えておられるようですね。
しかしですね、同じ本を読んでも、読む人によっては、その内容の解釈が千差万別なんですね。
人によっては、全く正反対の捉え方になる場合も多々あるのです。
『神との対話』という本についても、内容の捉え方が人によって全く違うというのが現状です。
#一度、『神との対話』についての匿名さんの感想を是非ご披露して頂きたいと思っています。

だから、「あの本を読めば私の考えが全て分かりますよ」という発言は、あまりにも人間の心理
を理解していない人物の発言のように感じましたが・・・。

要するに、どのような書籍を読んだとしても、読む人が理解できる箇所と共感できた箇所しか頭に残らないものなのです。

この掲示板は、哲学書の内容をうんぬんする場ではないかと思います。
ましてや知識の量を誇示する場でもないかと思います。
あくまでも投稿者の考えている意見を発表する場だと思います。

別に 哲学書を引用いても構わないと思いますが、あくまでも「この本にはこのように書かれて
ありますが、私はこの文章のこの箇所に感動しました」とか「この文章をこのように解釈してい
ます」というような引用だと匿名さんの考えを理解し易いかと思います。

間違っても、「私が説明するよりも、この本を読めば全ての真理が分かりますよ。」というよう
なことはなさらないように…。
[2001年8月6日 15時35分20秒]

お名前: 富士    URL
こんばんは。富士です。

たくさんの人がこれを見ているでしょう。びっくりしますよ。

「毎日神が語りかけるほーむぺーじ」

http://www5d.biglobe.ne.jp/~god/

 で、おなじみになりました富士です。

みなさん、きょうは、どんな日曜日でしたか?

何を遣っていくにしても多くの人の意志(愛)必要としますよね。

ようやくそのことが話せるようになりました。

最近では特にさんたさんのことが気になります。

ここでそんなことを言うのもなんですが、きのうHPを見ていて思った事は

大分前から、自然とこの事が成されるということに気づかされました。

ひとつを体験するには、武津さんも黙って目をつぶって静かにすべてを把握して委ねることも必

要、それが今ではないでしょうか。

あなたの友より。
[2001年8月6日 0時36分5秒]

お名前: テスト   
テスト
[2001年8月5日 17時27分14秒]

お名前: uno   
人の振りみて我が振り直せ

オーナーさん、いろんなこと勉強させてもらいました。
[2001年8月5日 8時13分55秒]

お名前: 匿名(一週間ほど家を空けます)   
出かける前に時間ができたので一言。

★プラトンさん
>匿名さんへのお願いですが、過去の書籍等の引用を一切しないで、匿名さん自身の
>言葉を使って誰にでも理解できるような易しい表現で、もう一度匿名さんのお考え
>を披露して頂けませんでしょうか?
私が回りくどく説明するより直接本を当たってみて欲しい、というのが私の本意です。
示した本はいずれも入手が極めて平易ですし、読むのにも各種ガイドを使えばそれほど
骨は折れません(それでも『純粋理性批判』はかなりハードですが)。そんな何万円も
する本を買えといっているわけではありませんし。
というのも、私があれやこれやと説明するよりも、それらの原典の方がはるかに私の言
葉よりも洗練され、優れているからです。そしてそれらに当たることによって私による
二次的説明よりも得るところが大きいからです。エピグラフが存在するのもその為でし
ょう。
ところで、自分の言葉って、何でしょう?

>それから、匿名さんは本を出したことがあるそうですが、差し支えませんでしたら、
>その題名を教えて頂けないでしょうか?
それはナイショです(笑)。もしかするとというか品切れになっているあるいは在庫破
棄の可能性大ですので、比較的大きな書店で、思想系のコーナーにてオレンジ色の表紙
の入門書を探してみてください。水道橋と船橋の旭屋書店では以前見かけました。

>ということで、オーナーを責めることに時間を割くよりは(無駄なことです・・・)、
>っと建設的に 匿名さんの意見を発表することに力を注いで欲しいのですが。
私の意見でしたら私の個人Webサイトで公表していますので、サーチエンジンをうまく
使って探してみてください。リンク検索を使えば引っかかると思いますよ。
さて、私はオーナー氏を責めているわけではありませんし、糾弾しているわけでもあり
ません。ただ、彼が日頃口になさっている「愛」とか「神」とかと、彼自身の実際の行
動があまりにも乖離しているのに疑義を感じたまでです。

さて、オーナー殿。日記、拝読しました。というわけで疑問点をいくつか追加しておき
ますので、私の不在中に、そのいくつかでもお答えくださるよう、お願い申し上げます。
1. 『カラマーゾフの兄弟』における有名な大審問官の場面における件のセリフは、デ
カダンの告発ではなく、いわゆるひとつの問題提起にすぎないというのが通説です。こ
れはその後に企図されていたアリョーシャの話を関連させれば明らかなことです(これ
はほとんどの邦訳文庫版に書かれています)。これをあなたはどうしてデカダンである
とおっしゃるのでしょうか。
2. あなたは私の知的・倫理的態度が「私は日本人の場合、この不可知論は知的な誠実
さというポーズをとった「無神論」ではないかと疑っている。」と疑義を呈しておられ
ますが、これはなぜですか。また、あなたのいうところの「無神論」とは何ですか。パ
スカルは『パンセ』の中で、いわゆる無神論も一種の信仰であると言っていますし、ニ
ーチェも『善悪の彼岸』(だったかな?)の中で、通俗的な意味での唯物論的無神論は
ただの僻み根性の賜物にすぎない、と言っています。これらについてあなたはどうお考
えになりますか。
3.私は当初は神学的な事柄については披瀝していませんでした。にもかかわらずあなた
が輪廻に関する問題で原始キリスト教を引き合いに出されたので、私はその根拠及び参
照となるものとしてオリゲネス(確か彼の著作断片は平凡社の『中世思想原典集成』に
収録されているはずです)などを示したのですが、にもかかわらず私があなたを知識の
多寡で打ちひしぐことを意図しているが如くに日記でお書きになることについては、ど
のような連関があなたの抱いておられる「愛」との間にはあるのでしょうか。
4.あなたはご自身がジャーナリズム畑の人間であるとおっしゃっていますが、だとすれ
ば尚更政治的問題に関する造詣は私などよりもずっと深いはずです。にもかかわらず小
泉首相の靖国参拝問題についての議論であなたのご意見をご披露なさらないのはなぜで
すか。また、「政治に愛を」というあなたのお考えについても私はその具体的内容を伺
っておりません。これについてもつまびらかにお教えください。
5.ニーチェについて、「神は死んだ」の本義は分かりましたか?
[2001年8月5日 5時55分31秒]

お名前: プラトン   
匿名さんへ
匿名さんとオーナーのやり取りを読んでみた感想です。

匿名さんはかなりの博識を持った方だと思いますが、匿名さんの引用する書籍を読んでいない者
にとっては、情報不足でついていけない箇所もあります。

匿名さんへのお願いですが、過去の書籍等の引用を一切しないで、匿名さん自身の言葉を使って
誰にでも理解できるような易しい表現で、もう一度匿名さんのお考えを披露して頂けませんでし
ょうか?
匿名さんほどの博学の方でしたら、私のリクエストに応じることは容易だと思います。

それから、匿名さんは本を出したことがあるそうですが、差し支えませんでしたら、その題名を
教えて頂けないでしょうか?

それから、このHPのオーナーは、本人も充分に自覚されているはずですが、世間的には かなり
いかげんな人間ですので、あまり挙げ足取りの指摘をしても無駄だと思います。
#私もいい加減な人間ですので・・・。

彼は、論理的な議論よりは、「情」に訴えるお話の方が得意な人間だと思いますので、匿名さん
の質問に対して、一つずつ論理的に答えるのは、脳細胞の構造上 非常に困難な作業だと思い
ます。
また 彼は、現在サラリーマン稼業をやっているので、このような論理的な作業に時間を割くこ
とは 時間的にかなり困難だとも思いますが・・・。

ということで、オーナーを責めることに時間を割くよりは(無駄なことです・・・)、もっと
建設的に 匿名さんの意見を発表することに力を注いで欲しいのですが。

この場合も、できればあまり引用をしないで 匿名さん自身の言葉で 易しく語ってほしいの
ですが。

それでは、楽しみに待っていますよ。
[2001年8月4日 22時31分7秒]

お名前: 匿名   
>それこそが、ニーチェが人類の不条理を、神に問いを発しても、神は沈黙して
>答えられず、絶望の果てに「神は死んだ」と叫んだのでしょう
全然違います。
この言葉が出てくるので一番有名なのは『ツァラトゥストゥラはかく語りき』の第1部
です。どういう意味なのかはご自分で同書にお当たりください。あきれて言葉も出ま
せん。なおアカデミズムの世界で評判がいいのは理想社版の全集ですが、入手しやすさ
という観点から、ちくま学芸文庫か岩波文庫をお薦めしておきます。気合いを入れて
クレーナー版の全集を読むのももちろんいいですよ。
言っておきますが、ニーチェは人間の現存在のある種の不条理さを、自らの運命である
として敢えて愛することを宣言するのです。絶望するのはむしろキルケゴールの方です。
まあ、後者も最終的には開き直りに近い地点に行くのですが。

>「神は存在しない」ということを、あなた自身の言葉で証明してくれませんか。 
輪廻同様不可知論の立場を採っています。信じようが信じまいがさしあたって私の倫理
的態度を規定する要素にはそれ自体としてはならないからです。

なお、神の存在証明は大まかに言って5通りありますが、その中でも有名な無限論的証
明と本体論的証明については、論点先取の虚偽を犯しています。他の3つについても循
環論法などのトラップにかかっています。
また、神は存在するや否やという問題は、『純粋理性批判』におけるカントのアンチ
ノミー証明からも分かるとおり、両方証明可能です。論証に必要な前提だけ示してお
きますので、あとは自分でお考えください。
1.有神論の立場(因果論的証明法を採用)
大前提 全てのものには原因がある
中前提 原因は最後には自己そのもののうちに原因を含む「第一動者」に辿り着く

2.無神論の立場(因果論的証明のアンチノミーを利用)
大前提 全てのものには原因がある
中前提 原因はあくまで関連する者同士の間にのみ生じる
中前提−2 原因の遡及は無限に可能である

では、この雪隠詰めを超克するにはどうしたらいいのでしょう?感性に訴えるのではな
いのですよ。『実践理性批判』に詳しい説明はありますので、そちらをどうぞ。

さて、これから数日家を空けるので、リプライは遅れがちになりますから、お答えをお
願いすることを箇条書きにしておきましょう。
1. あなたは私との議論を「ディベート」と言ったが、それはなぜか。
2. 私の議論のどこが「言葉をもてあそんでいる」のか。
3. あなたの主観のみに依拠した「信仰」は命題「私はカレーが大好きである」とどの
ような点で異なるのか。
4. 真の知識とはなにか。偽物の知識との差は何か。真の知識が信仰を深めるとしたら
それはなぜなのか。そしてあなたは真の知なるものを有しているのか。
5. 『神との対話』はなぜ革命的なのか。客観的に説明してください。
6. あなたが繰り返している「愛」とはその本質において何か。
7. あなたが繰り返している「神」とはその本質において何か。
8. あなたは自らがクリスチャンであるといいながら、ミサにも行っていなければ三位
一体も信じておられないようであるが、この矛盾はどのようにすれば解決できるのか。
9. あなたにとって主観とは何か。
10. 仮に来世があるとして、その意味においてあなたの現世はどのような価値付けと意
味付けを与えることが可能だと思うか。
11. では来世がなかったとしたら、その意味においてあなたの現世はどのような価値付
けと意味付けを与えることが可能だと思うか。
12. 信仰とは宗教にとって何か。
[2001年8月4日 15時32分46秒]

お名前: UNOさんへ   
何が うそ なのかな 
 真意を知りたいので DMをください。

 でも したくなければ結構です。あなたの自由意思ですから。
[2001年8月4日 14時47分58秒]

お名前: 匿名さんへ   
ニーチェのこの有名な言葉は知っていますよ。
牧師の子どもとして生まれた彼が、神を否定するまでになったこと
それこそが、ニーチェが人類の不条理を、神に問いを発しても、神は沈黙して答えられず、絶望の果てに「神は死んだ」と叫んだのでしょう。

 もろもろの論議をする余裕がないので、1つお願いがあります。
 「神は存在しない」ということを、あなた自身の言葉で証明して
くれませんか。 つよい確信と信念をおもちのようなので、あなたには
できるのでないですか。
 では 期待してまっています。  では 
[2001年8月4日 14時42分55秒]

お名前: uno   
うそつき
[2001年8月4日 14時0分51秒]

お名前: 匿名   
>あなたは大変な学識をお持ちのようなので、文筆作業が個人のテリトリーで多く
>進むことはご存じでしょう。
>もっとも、締め切りを大幅に過ぎて原稿を出す作家たちも多いので迷惑をかけて
>いるとはいえますが。
ほう、そうですか。私が以前本を出版したときにはこちらが締め切りの半月以上前に最
終原稿を入稿したにも関わらず、編集者が入院したとかいろいろな理由を付けられて最
終ゲラが半年近く遅れたことがありましたが。この時は担当編集者は一人でしたが、周
りはみんな迷惑していましたよ。

> 人類が抱えてきた大いなる矛盾と不条理への問いは、ニールの神は「時のはじめか
>ら人類は神に問うてきた」
何がどのように不条理なのですか。何がどのように「大いなる」なのでしょう。
また、同じく人間の存在の「不条理性」を問うてきた思想の系譜は極めて大雑把に言っ
て実存主義が挙げられますが、これを代表する思想家の一人であるサルトルは徹頭徹尾
あなたのおっしゃるような意味での無神論者でしたし、実存主義の開祖の一人とも言わ
れるニーチェは「神は死んだ」という有名な言葉を残しています。無論、ある種の有神
論的実存主義を唱えるヤスパースやキルケゴールなどもいるにはいますが。
少なくとも、ここから導けるのは、我々現存在の不条理性を考究することは必ずしも「神」
とやらに問いを立てることとイコールではないということです。

>こうした人間のもつ悪の部分を追求すれば、戦いはそれこそ永久に終わらない
>でしょう。
では「悪」を解決するにはどのようにすればいいのでしょう?
カントは『永遠平和のために』の中で、人間には消し去りがたい悪の要素があることを
一旦承認します。その上で、それを直視した上で人間の理性に訴えるわけです。即ち、
惨たらしい戦いの惨禍を経過した者だけが平和を実現する力と契機を持つのです。
もし人間の悪の要素から目を背けて事足れりとするのであれば、それは単なる逃避に他
ならないでしょう。

> あたなた言葉を厳密に定義していますが、これはコミニュケーションの大事な約束
>ごとではありますが、あまりそれにこだわることは私は好みません。
好き嫌いの問題ではないでしょう。必要性があるのならば定義はしなければなりませ
ん。あなたの好みにつき合って差し上げられるほど議論とは寛容ではないのですよ。

>これはいくら理性で論じても「神は証明不可能」だし
ではなぜ数多くの先哲達が神の存在証明を行ってきたのか考えたことはありませんか。
それとも神の存在証明自体をご存じないのかな。デカルトの『方法序説』でもお読みに
なることをお勧めしておきますよ。薄っぺらいですし。

あなたは感性と理性とを対立的に考える典型的な二項対立に陥っておられるようですね。
美学の語源がギリシア語で「感覚」を表すアイステーシスであることからも分かるよ
うに、理性と感性の間には相互にフィードバックする関係があります。私たちが考え
を働かせるとき、その本質においては理性も感性もないのです。むしろ、理性理性と
いってロゴスによる思考を拒絶するのはロゴスを持たぬ者との謗りを受けても仕方な
いでしょう。

エマニュエル・レヴィナスというユダヤ系の哲学者は「語ること」と「語られたこと」
というタームを使って、語り続けることの責任を説いています。これがどういう意味を
持つのかおわかりですか?

> 子どもに、いくら理性で愛を語っても、母親の抱擁にはかないません。
ではあなたは子供で構わないということですね。

英語で幼児を指すinfantという言葉の語源は、「失語症」を意味するラテン語infantia
です。あなたは子供で構わない、むしろ子供になってしまいたいという願いをお持ちに
なっているようですから、1日も早く一切の言葉が要らない、あなたを暖かな母性(言
うまでもなく母性は近代の家族制度が産み出した一種のフィクションです)が包んでく
れるような素晴らしい世界があなたに訪れることを願っておきます。
[2001年8月4日 12時44分11秒]

お名前: 匿名さんへ   
>>人生をわずか100年未満というスパンで見れば、まさに世界は不条理だらけです。
 >以前あなたは日記で仕事のさなかに映画を観に行ったと書いておられましたが、まさに
 >そうしたことは不条理にしか私には映りませんね。想像するにあなたと連携して仕事を
>進めておられた方はそれで大変な苦労を強いられたと思いますが、それとあなたのおっ
 >しゃる「愛」はどのような実践的関係にあるのですか。
 
 他人の事情を一般論で推論するのはむつかしいことですね。

 迷惑がかかるとわかっていて、自分勝手な振る舞いをするのは、まさに子どもです。
 愛など扱えるものではないでしょう。その日は、もちろん私の仕事は一段落して、
 映画の最終締め切りに合わせて観に行ったものです。ですから、関係者に多大の
 迷惑はかけていませんし、私の仕事の多くは、個人で行うものが多いのです。

 あなたは大変な学識をお持ちのようなので、文筆作業が個人のテリトリーで多く
進むことはご存じでしょう。編集作業も、連携しているとはいえ、それに近いものです。
もっとも、締め切りを大幅に過ぎて原稿を出す作家たちも多いので迷惑をかけているとは
いえますが。

 ところで、本題です。私が「100年というスパンでは、人生は矛盾だらけ」という
視点を持っていること、その矛盾に自分も悩んできたこと、そしてそれこそが、私をして
神を求めさせた事実です。これは私個人の問題ですが、

 人類が抱えてきた大いなる矛盾と不条理への問いは、ニールの神は「時のはじめから
人類は神に問うてきた」と表現しています。
 あなたが、わたしに突きつけた「ホロコースト」はまさにそのもっともむごい出来事で
しょう。私は、かつて原爆の悲惨な写真をみて、アメリカに言い知れぬ怒りを感じたことがあります。きっとそれは、目の前で肉親が殺された人、特にいま問題になっている中国
や韓国の人々は、そうだったと聞いています。
 こうした人間のもつ悪の部分を追求すれば、戦いはそれこそ永久に終わらないでしょう。
 先回のユダヤとパレスチナの例を引いたのは、特定の人種や宗教の対立をいったのでは
ありません。あなたが指摘しているように、キリスト教内部の内ゲバや、新旧 キリスト教
の抗争をみても自明のこととして、あくまで例としてあげたつもりです。

そしてあなたが指摘している、責任の問題については、応答こそ責任を果たすこと、
という見解にも同意できます。
 あたなた言葉を厳密に定義していますが、これはコミニュケーションの大事な約束
ごとではありますが、あまりそれにこだわることは私は好みません。しかし、これは
学問を否定しているのではありません。数学や物理に定義がなければそれが成立しな
いくらいは理解できますから。同じく哲学もそれに近いでしょう。

 最後に、貴方が問いかけている「愛の責任」、実践的関係ですか、これに答えなけれ
ばなりませんね。わたしはある人に、仕事上の思いやり「愛の一種」に欠けると強く批判
されましたが、これも仕事という観点から見た責任(愛の実践)を果たしていないことに
なりますね。(事実は別としても)

 こうしたことは直接目に見えるので、反省もできますが、人間気づかないで、心ない
ことをすることも多々あると思います。人間が神のような完璧な想像力をもったなら、
すべてに公正、過不足がないはずです。神ならぬ人間は、だからこそ謙遜と思いやりが
必要だと思います。
 最後に、私は知識や理性を軽んじてはいないつもりです。もしそうならいまの職業に
はつかなかったでしょう。ただ、信仰や神という存在は、知識や理性を超えている、と
いうのが私の真意ですし、これはいくら理性で論じても「神は証明不可能」だし、愛を
いくら理性でとらえても、あまり意味をなさない、と思っています。

 子どもに、いくら理性で愛を語っても、母親の抱擁にはかないません。

 では また
[2001年8月4日 11時27分39秒]

お名前: 匿名   
>あなたは私の真意を組むということはせずに、言葉をもてあそんで
>いるように見受けます。
どの点においてですか? 私はディベート競技におけるような各種テクニック(論点誘
導など)は一切使っていませんが。

> 私は、ニール)という権威)が言っているから正しいとは、言っていない
>はずです。
「心に響いた」というやつですか。それはあなたの体験であって契機でしかない以上、
何ら理由にはなり得ませんよ。

> でも こうした論議の根底には、私とあなたの神観、これは前にも書きました
>が、私は神を信じています。しかし、あなたにはそれを感じませんが。
つまり、信仰を共有しない人間にはあなたの信仰は説明できないということですね。
私には無論私なりの信念があります。それは超越的という点では信仰と共有する地点も

多くあります。

お時間がないと言うのであれば、まずお一つだけお答えください。それは私の先だっての書き込みに記したことですので、引用符付きでもう一度書きます。

>>人生をわずか100年未満というスパンで見れば、まさに世界は不条理だらけです。
>以前あなたは日記で仕事のさなかに映画を観に行ったと書いておられましたが、まさに
>そうしたことは不条理にしか私には映りませんね。想像するにあなたと連携して仕事を
>進めておられた方はそれで大変な苦労を強いられたと思いますが、それとあなたのおっ
>しゃる「愛」はどのような実践的関係にあるのですか。
[2001年8月3日 16時20分59秒]

お名前: 匿名さんへ   
あなたの質問に1つ1つ 私なりに答えていこうと思っていますが
 どうやらそれが難しいようですね。あなたは私の真意を組むという
 ことはせずに、言葉をもてあそんでいるように見受けます。

 私は、ニール)という権威)が言っているから正しいとは、言っていない
はずです。これはUNO さんへの中で 答えているはずです。
 いまは 時間がないので このへんにさせて下さい。

 また、ホロコーストを私は是認しているものでもありません。
 罪は罪として 事実はじじつです。
 無差別な許しは 許しにならないでしょう。

 でも こうした論議の根底には、私とあなたの神観、これは前にも書きました
が、私は神を信じています。しかし、あなたにはそれを感じませんが。
 いま私は 無神論者を説得する時間も余裕もないのです。

  では  また
[2001年8月3日 11時44分43秒]

お名前: 匿名   
>UNOさん、

>匿名さんも頭からでたらめと決めつけるのはどうかと思いますよ。
「と学会」は別段そうしたことを完全に退けているわけではなく、どちらかといえば
私同様不可知論の立場を採っているようです(具体的には各会員で立場はかなり違う
と思いますが)。ただ彼らが指弾しているのは、そのような世界には必ずと言ってい
いほど各種新興宗教に象徴されるような数多くのペテンやまやかしがあるということ
であって、結論として彼らが言うのも、私たちはその実あまりにもそういうものに引
っかかりやすいのだからしっかりした情報と認識を携えて冷静な思考を怠らないよう
にしよう、というごく当たり前のことにすぎません。
[2001年8月3日 4時27分52秒]

お名前: uno   
書き込みしてから思ったんですけど、オーナーさんの日記に議論中の人、
わたしはいってなかったですよね。
もしかして、お邪魔むし?
なんか長く書いちゃったし。
[2001年8月3日 3時35分39秒]

お名前: uno   
今回のお二人のやりとりで思い出したこと

私がお世話になっている座禅の先生が、以前こんなことをおっしゃったことがあります。
「仏教徒からお寺とお経をとり、イスラム教徒からモスクとコーランをとり、
キリスト教徒から聖書をとってしまったら、一体何が残るでしょう。
それが本当の宗教です」
「仏道を学んでいても、仏教・仏教言わないで話を進めて行かなくてはいけません。
それが今後の課題です」

今のお二人のやりとりがまさにこのことだと思いました。

輪廻転生はインドに哲学らしきものが生まれて以来の古い思想で、
今でもインドの様々な宗教に共通の概念です。
その為にいろいろな宗派でいろいろな輪廻転生の仕組みを説いているので
一概にこれと言えないみたいです。

私の習ったものだと、輪廻は螺旋を描いていて、三悪道に墜ちたり、
天界に生まれ変わったりしながら、それでも上へ上へと昇っていくらしいです。
けれども人間に生まれ変わったときしか、悟りへは到達できないのだそうです。
人間に生まれ変わることについては、チベット仏教だと「バルド・トドゥル」のように、
亡くなった人が、迷わずまた人として生まれ変われるように、道を説くものもあるし、
聖人は宇宙的に生まれ変わる時間と場所を決められていて、
100年に1度どこかに出現するとも言われたり、
人種を越えて生まれ変わることは滅多にないと言う人もいます。

でも、大事なのはなんで輪廻転生がそんなにも深く根付いているかということだと思います。
「生まれ変わり」を説くことで、今・この瞬間、今生を100%謙虚にひたむきに真摯に生きること、それが一番言われるべきことなのだ、と。もしそれが完璧にできたら輪廻転生は消滅するのだと。ということで、前に書き込みした「差別相」「平等相」になるのだけれど。

凡人である私もこれを感じずにはいられませんが、輪廻の輪から抜け出したいです。いつかきっと。匿名さんも頭からでたらめと決めつけるのはどうかと思いますよ。
ただでたらめな人が多すぎますよね、確かに。ドイツ・イギリス・フランスなど、
インドを植民地にしてきた国は研究が進んでいるから、そうでもないかも知れないけど。
本当にそうだという人は、それでどうということじゃないから、
敢えて高らかに唱わないだろうし。

知識かぁ。これもいろいろと議論が進みますよね。
インド的には「知識」とは「知慧」がセットになってで出てきますよね。
これってすごく奥が深くて、私も未だによく分からないです。

座禅とか瞑想とかアーサナとかすればするほど感覚的に納得できるから、
やっぱり実践って大事ですよね。それを習慣にすると、
日常生活でも正しく振る舞えるようになる、って分かってても…
さぼってばっかりです。
[2001年8月3日 3時28分0秒]

お名前: 笑止千万(匿名)   
まず、何はともあれ私の質問に全てお答えください。話はそれからです。

それから、あなたの論法では、「ニールさんが言っているから正しい」というテーゼが
成り立つことになりますね。これは明らかに論証作業の放棄に他ならないでしょう。

>有名な世論調査(名前は忘れました)でもそれは
>数字(たぶん40%以上でした)がしめしています。
ちなみに似たような社会調査ではアメリカ人の1割以上が進化論を認めていませんが、
あなたの論法で行けば10%以上の確率で進化論は虚妄ということになるのですね。
これは驚いた。

>ある魂はユダヤ人にもドイツ人にもなるはずです。
だからホロコーストはやっても問題なし、ということになるのですか。
一度でいいからその言葉をユダヤ人の前で公言してみてください。

>これは証明不可能であることは想像いただけるでしょう
可能です。全てを書き起こして、事実と照合してみればよいのです。
事実、ロシアの某霊媒師が同様のテストを受けた結果、それらの記憶は彼女が今まで読
んだオカルトブックレットのつぎはぎであることが証明されています(参照:『トンデ
モ超常現象100の謎』)。あなたも日記かどこかにそれを全て書き起こしてみてはいか
がですか。

>知識は遺産として受け継げても知識では、いうまでもなく、人は癒されないでしょう。
ではそもそもあなたの言う「癒し」とは何ですか。知によっても人は癒され得ます。
だからこそちというものは今まで連綿と受け継がれてきたのです。
あなたが念頭に置いておられる「知識」とは、単なるトリヴィアでしかなく、それは知
の一部を形成するにすぎません。知(識)とはドイツ語Wissenschaftが示すように、思
考の総体であり、人間の知性活動の最たる物なのです。
それをあなたのように誤解しているというのは実に悲しいことですね。そのような思考
法それ自体は明らかに消費社会によって汚染されたものに他ならないのですから。

>人生をわずか100年未満というスパンで見れば、まさに世界は不条理だらけです。
以前あなたは日記で仕事のさなかに映画を観に行ったと書いておられましたが、まさに
そうしたことは不条理にしか私には映りませんね。想像するにあなたと連携して仕事を
進めておられた方はそれで大変な苦労を強いられたと思いますが、それとあなたのおっ
しゃる「愛」はどのような実践的関係にあるのですか。

> 愛は無限に耐えるし、無限に与えたいのです。
上の例で行けば、あなたは何を仕事のお仲間に与えましたか。私はそれを「損害」とし
か呼称できないように思うのですが。

「愛の試練」とか美辞麗句で飾り立てた理念を吹聴なさるのはあなたのご勝手です。で
すが、まず私の投げかけた質問に全て納得のいくようにお答えください。それなしには
あなたは無責任の謗りを逃れ得ないでしょう。
[2001年8月3日 2時14分56秒]

お名前: オーナー   
「匿名」さんの 質問に私なりに答えていきたいと思います。
 まず、神との対話が「なぜ革命的なのか」の 私流の解釈・意見を表明します。
 あなたが指摘するように、現在、カソリックもプロテスタントも「輪廻転生」は
認めていません。この本の著者であるニールは、熱心なカソリック信者の家庭に育ち
ましたが、いまでは「輪廻転生」を認めています。
 これは認めるどころか、それなくして彼のほとんどすべての立論は意味をなさなく
なります。現に、神はニールの「生まれ変わり」の数にも言及していますね。
 アメリカは熱心なキリスト教国家ですが、その国民の多くは、いまや「生まれ変わり」
を認めるようになっているようです。有名な世論調査(名前は忘れました)でもそれは
数字(たぶん40%以上でした)がしめしています。ニールの本が400万部も売れてい
るのがその何よりの証拠でしょう。
 一部には(主にカソリック)、この本は教会の教理への挑戦として、反対運動があった
と聞いています。「生まれ変わり」を認めれば、いまのキリスト教の根幹、つまり「天国
と地獄」という信者への「アメとむち」の指導は無効になります。ここに、その根拠の1つがあります。
 なぜなら、ほとんどの人は、多くの転生の中で、聖者もすれば、極悪人も経験している
はずです。男も女も経験すれば、違った宗教、人種さえも経験するし、加害者にの被害者にもなります。
 私は、これを信じています。わずかな「記憶」ですが、数回の過去世(と信じている)も思い出したことがあります。これは証明不可能であることは想像いただけるでしょう。
これでいくと、おそらく、ある魂はユダヤ人にもドイツ人にもなるはずです。
 でも、こうした論法は、あなたが公言していたように「生まれ変わりを不可知として
退ける立場では意味をもたないでしょうね。
 あなたは、私には想像力が欠けていると言われましたが、人生をわずか100年未満
というスパンで見れば、まさに世界は不条理だらけです。知識は遺産として受け継げても
知識では、いうまでもなく、人は癒されないでしょう。
  それと、あなたは「愛は領収書ではなく、無限の請求に耐える」はずのもの、という
指摘は同じですよ。あなたが、もし結婚していて、お子さんをお持ちなら、それは否応なく実感されるでしょう。
 愛は無限に耐えるし、無限に与えたいのです。そして、「汝の敵を愛せ」と」いった
イエスには、真に敵は存在しなかったのでしょう。それなくして自分を刺し殺すローマ
兵を「神よ 許したまえ」とは言えないでしょう。
 また 逐次 書きます
[2001年8月3日 1時28分54秒]

お名前: 匿名   
へえ、ディベートですか。
ところで、ディベートって何だかご存じてすか?
[2001年8月3日 0時51分54秒]

お名前: uno   
>ことばだけのやり取りの難しさですね。
掲示板には掲示板用の言語があるってことですよね。
私は不慣れだからな〜
[2001年8月2日 19時15分31秒]

お名前: uno   
ならよかった。
[2001年8月2日 17時16分15秒]

お名前: オーナー   
UNOさんへ
 ちょっと誤解のようですよ。私はあなたと匿名さんが2人して私を批判している
なんて考えてません。そういう印象を与えてしまったならすみません。
 参戦という言葉も「」つきで書けばよかったかな。ユーモアのつもりですよ。
ことばだけのやり取りの難しさですね。
[2001年8月2日 11時18分27秒]

お名前: uno   
でも、この掲示板、私の物じゃないから、そういうことはオーナーさんが判断することですよね。
余計なお世話でした。
[2001年8月2日 3時26分26秒]

お名前: uno   
酷いですよ。
わたし、オーナーさんにけんかなんか売ってませんよ。
よく読んでください。
「参戦」という言葉を使ったのは、
オーナーさんと匿名さんがちょっと感情的になりすぎてるから、
冷静になってもらいたいからです。
それでも、その言葉の使い方は適切ではないです。
それは素直に謝ります。ごめんなさい。
私は匿名さんとオーナーさんに同時に自分の考えたことについて
「どうですか」と言っているだけです。
匿名さんの書き込み難しいから、正しく理解できてるか自信ないし。
でも、オーナーさん、私の意見に全然答えてくれないから、
匿名さんとのやりとりばっかりになってしまにます。
「知識で信仰は解けない」ってのは、私じゃなくて匿名さんの質問の答えだし。
匿名さんと私が束になってオーナーさんを攻撃してるみたいな捉え方、心外です。
はっきり言って悲しいです。
だって琴線に触れなかったら、ここでこうして話をしていないわけだし、
だからこそ、それをどう捉えて生活に活かしたらいいか、
一緒に考えれば実りあるものになると思ったのに。
本当に悲しいです。
オーナーさんがそんな風に私の書き込みを読んでいたなんて。
掲示板では、ここに書き込みはしないけれど、
読んでいてくれる人のためにもあるべきだと思うから。
でなければ、面と向かわないで話が出きる掲示板のいいところなくなってしまうと思うから。
これを読んでくれる人が「あいつ何言ってんだ」でも「そうだよね」でも何でもいいから、
信仰とか宗教とかいろんなこと考えるきっかけになればいいと思ったんです。
だってホントに核心ついた話題だから。
それだけです。
[2001年8月2日 3時0分0秒]

お名前: 匿名   
>>あなたは信仰と知を分離することにご熱心なよう
>そう見えますか。真の知識は信仰を深めこそすれ、分離はしないと思いますよ。
真の知識とはなんですか。偽物の知識との差は何ですか。真の知識が信仰を深めるとし
たらそれはなぜなのですか。そしてあなたは真の知なるものを有しているのですか。

>信仰が、つまるところ主観の極致であることはご存じではないのですか。
これは上記と矛盾しますね。信仰が主観の問題で片づけられるのであれば、それこそ信
仰はカレーの好き嫌いと同一になるでしょう。であるからこそ、これら両者の違いは何
か、と私は問うているわけです。それに対してあなたは何らお答えになっていない。
「全ては主観だ」と傲慢にも言い放つことで、思考の停止を自ら肯定しているだけです。

非常に疑問なのですが、あなたは私の問いかけに対してほとんどお答えになっていませ
んね。このようなやり方は新興宗教の勧誘員が街頭でよくやるやり方とほぼ同一です。

先にも述べたように責任の本質は応答することにあります。なぜあなたはそれを行わず
に私に問うことばかりするのでしょう。

> 匿名さん あなたの「怒りの根源はは何ですか」。
怒っているように見えますか。私は微笑んでいますよ。太宰治流に。
[2001年8月2日 2時10分17秒]

お名前: 匿名さんへ &UNOさん   
パールハーバーからずいぶん論議が進み?ましたね。

「あなたの信仰は 証がない」、まさにあなたの指摘は、信仰者にとっては究極の殺し
文句ですね。信仰が、つまるところ主観の極致であることはご存じではないのですか。
ほんとうにスリリングな鋭い指摘で、穴があったら逃げ込みたいくらいですよ。

 >あなたは信仰と知を分離することにご熱心なよう
そう見えますか。真の知識は信仰を深めこそすれ、分離はしないと思いますよ。

あなたのいう 「論議を閉めたがっている」、というのは私の真意ではないですよ。
実は 私が「あなたは神を信じていますか。その神はどんな神ですか」と問いたいと
思っていたことを、逆にあなたに、「汝に信仰が見えない」と断言されとようです。
日記には、私の信仰生活の神髄は書いていません。理由は、家族との宗教上の対立
があるからです。

UNOさんへ
 参戦している?とは 参りましたよ。
私は信仰者と非信仰者を ことさら分けて考えてはいませんが、「知識で信仰は解けない」
ということは理解しています。匿名さんの、議論が少なくとも知的にはとても誠実である
ことは認めます。フランクルの肩書きのミスを指摘してくれましたが、神学の博士号を
とっていたと記憶していたので、神学者と言ってしまいましたが、精神科医であることは
知っていました。こうした指摘もその現れでしょう。
 
 ニールの本の真実を私が確信したのは、少なくとも人生を50年歩んできて、匿名さん
に答えたように、存在を賭けて「神を求めた」者の共通の臭い、汗、涙を感じたからです。 人が感動したり、怒ったりするのは、自分の存在の琴線に触れるからだと思いますよ。

ここで ファールしてしまいますが
 匿名さん あなたの「怒りの根源はは何ですか」。この重いテーマは。それこそ
このBBS ではふさわしくないですね。魂の触れあいは、直接対峙してして得られる
恩寵だと思いますから。

 匿名さん 私はあなたに 少しも怒りは感じていませんよ。
 むしろ愛というのは口幅ったいので、共感を感じてます。
   神の愛が あなたと共にありますように。
[2001年8月2日 0時6分53秒]

お名前: 匿名   
>追伸 こうしたシリアスな問題は、匿名という責任が曖昧になりやすい方法は馴染まないと思
>います。

こういうのもありますよ。
http://www.kent-web.com/bbs/idiot.htm
Gateway Board
「管理者が許可したID/PASSWORDがないとアクセスできない掲示板です。 
  会員制掲示板を設置したい方に。」
[2001年8月1日 22時8分55秒]

お名前: 匿名   
>知識では、信仰には至らない、ということはあなたの優れた想像力なら十二分に
>おわかりいただけるでしょう。
ではあなたの信仰とはいかなるものですか。
日記を拝読する限り、日曜日も聖金曜日のミサについてもあなたは与っておられないよ
うですね。信仰をパスカル流にことさらに擁護するのはご自由ですが、少なくとも私に
はその内実が伴っているようにはとうてい思えません。そもそも、私の示したあなたに
対する質問に対してあなたはほとんど何も答えず、ただこの議論をとっととシャットア
ウトしたがっているだけではないですか。

また、あなたは信仰と知を分離することにご熱心なようですが、では「私はカレーが大
好きである」という命題と、「私は神を信じる」という命題との間にいかなる差異があ
るのかを信仰の原理のみで説明できますか。カレー大好き人間にとってはまさに両者は
同じであり、その差異を他者に説得できないようではあなたの信仰とやらは所詮主観性
における自己満足にすぎません。つまり、あなたは信仰にこと寄せて、自分を可愛がり
たいにすぎないのです。

> あなたは「復讐するは 我にあり」という文学作品がありましたが、そんな怨念を
>感じさせますよ。 
そうですか。それはなぜでしょう。あなたの信仰はそれを解き明かしてはくれないので
すか。あなたの愛とやらはそれを照明してはくれないのですか。メフィストフェレスが
『ファウスト』の最後で感じたように。

☆UNOさん
その通りだと思います。うずたかく存在する先哲たちの思惟の足跡は、その結果を拝領
してそれで事足れりとするものでは何らありません。むしろ、その困難を追体験するこ
とによってこそ、私たちの中に経験の煌めきが宿るのであって、知の本質とは、そのた
めの時を越えた導き手となる有様なのですから。
[2001年8月1日 22時6分10秒]

お名前: uno   
「知ってる」「知らない」の知識の張り合いじゃなくて、
だから、この場でみんなの知識や思いを持ち寄って、
一緒に考えていけばいいじゃないですか。
その為にこの掲示板ってあるんですよね。
[2001年8月1日 21時56分21秒]

お名前: uno   
信仰を持っているものとして一言ご挨拶。

確かに匿名さんは「信仰を知識で理解」しようとしているところはあるけれど、
感性でしか宗教的なものを理解できない私も、納得できるところはいっぱいありました。

例えば、フランクルのことも、極限の逆境がその人の魂を昇華させると言うことだと思うし、
だからこそ、仏教やキリスト教の修行僧は俗世を離れ、自ら好んで極限状況に身を置くのだから。

だからそういうことを経た経験のない人がとやかくいうことじゃないと私も思う。

ニールさんだって、逆境にあって必ず対局に不幸があるような幸福ではなく、
「ほんとう」の幸福が知りたくて、色々勉強してるし。
何千年も議論され、実践されてきた教義をちゃんと勉強して、実践して修行した境涯だもん。

だから、ニールさんに学ぶとしたら、彼と同じように修行をし、勉強をして、同じ境涯に到達することが大事だと言うことだと思う。
いいこと言ってるから、彼の言うとおりにすればいいは間違いだと思う。

愛のことだって、本当に愛があって実践している人は、ことさら愛だぁ、って言わないし。
例えばマザー・テレサとか。そういうことって、周りが判断することじゃないかな。

オーナーさん、私にも返事ください。
一応私も参戦中なので。
忙しいとは思うけど、これって結構確信ついた大事な話だと思う。
[2001年8月1日 21時38分11秒]

お名前: 匿名さんへ   
大変な知識をお持ちですね。でも私はあなたと神学論争をする意思も、また
知識という点でも資格はないでしょう。ですから、ここのことであなたと
論議するつもりがないことを、ここで改めて述べておきます。
 あなたの論議は、信仰を知識で分析しているようで、あまり実りを感じません。
知識では、信仰には至らない、ということはあなたの優れた想像力なら十二分に
おわかりいただけるでしょう。
 どうやら、あなたの「神観」は、私とは根本的に違うように思いますが。
 あなたは「復讐するは 我にあり」という文学作品がありましたが、そんな怨念を
感じさせますよ。 ただ、安心したのは、当初のややエキセントリックな政治的な主張を思わせるものが、実像ではなかったことです。
 私に、もっと理性と時間があれば、あなたはきっと私にとってなくてならない何ものかを持っている、そんな予感も感じてますが、いまはその時期ではなさそうです。
 では また 少し 時間をおいたほうがいいのでは。
 
[2001年8月1日 20時6分28秒]

お名前: 匿名   
> 神との対話が革命的な理由がここにあると思います。
なぜ革命的なのでしょうか。その理由を明らかにしてください。
キリスト教の教父時代には確かにオリゲネスのように前世説を承認している人がいますが、彼の議論はアウグスティヌスの『神の国』の中で明白に否定されていますし、トマス・アクィナスの
『神学大全』においても輪廻は不可知論故に否定されます。

>しかし、神との対話の神は、それを超えていっているのではにですか。
なぜですか。根拠をお示しください。どこをどの点において越えているのですか。いわゆるヒュ
ーマニズムを超克するという点でいっているのですか。

>アウシュビッツから生還した、ユダヤ人の神学者/フランクルも、
>ドイツ人への憎しみを超えていると思いませんか。
ウィクトル・フランクルは精神分析医ですよ。神学者ではありません。ユダヤの場合、「神学者」となるためには20年以上に渡る専門的な教育というか修行をみっちり積んできた人のみに当てはまります。キリスト教の「神学者」とは一般に幼少の頃から聖書教育を受け、大学などの高等教育機関で神学を専攻し、最低でも神学の博士号を持っている人のことをいいます。
『夜と霧』においていわれているのは、「人生」を巡る一連の段落に代表されるとおり、いかな
る境遇にあっても世界を肯定する意志を持つべきだということであって、ナチスを赦してしまえ
ということではありません。しかも、このような認識は極限状況まで好むと好まざるとに関わら
ず追いつめられた人だからこそ持ちうるものであって、私たちが軽々しく口にできるような類の
ものではありません。それはまさに超越的経験そのものであって、その過程そのものを私たちが
追体験しなければ全く意味のない物なのです。結果だけ採用してホレ見たことかというのは全く
の安易な態度です。

>議論のための議論は意味を感じません。
>あなたの論方でいけば、永遠に地球に平和はこないように思います。
なぜ議論のための議論なのですか。そのような断罪とあなたが日頃おっしゃる「愛」とやらとは、どのような位相にあるのですか。カール・バルトを持ち出すまでもなく、「神」の顕現形態としての「愛」とは実践のみがその本質です。いくら理念としてそれを唱えたところでそれはただの音声の風にすぎません。
なぜ平和が来ないのですか。対話あるいは議論によるコミュニケーションの構築とは、ユルゲン・ハーバーマスもいうとおり、対話的理性の実践であり、そういったものなしには自己満足と認識の暴力が大手を振って歩くだけの野蛮に私たちは陥るでしょう。
そもそも、あなたが理念として抱く「平和」とはなんですか。みんな仲良くニコニコ、というも
のですか。もしそうだとしたらそんなものは幻想あるいは妄想にすぎません。というのも、「み
んな仲良く」というのは他者の排除の上に常に成り立つからであり、それはアウシュヴィッツを
横目で見ながら仲良くダンスパーティーとしゃれ込んでいた当時のドイツ市民と全く同じです。
UNOさんも書き込んでおられるとおり、真の意味での平和とは、常に何らかの不和を抱えた形で
為されるものです。ユダヤのカバリストたちはこれを「メシア論的平和」と呼びますが、私もそ
れには同意するものです。なぜなら、そういった「平和」のうちにこそ私たちは反省と思惟の糧
を得られるからであり、そしてそれらこそが私たちの精神の価値を高めてくれるからです。

>ユダヤとアラブの「血で血を洗う」戦いの歴史
ユダヤ人とイスラム世界が反目しあうようになったのはごくごく最近のことで、イスラエル建国
後にすぎません。実際、十字軍の頃には、ユダヤ教徒とイスラム教徒は連合軍をくんでウルバヌ
ス2世率いるところの十字軍に共同で戦ってイスラエルを防衛していたりします。むしろ延々と
血を血で洗う争いを繰り返してきたのはキリスト教内部の内ゲバです。例えば、アルビジョワ派
やカタリ派あるいはロシア分離派に対して行われた虐殺は壮絶なものがあります。

>匿名という責任が曖昧になりやすい方法は馴染まないと思います。
ほう、そうですか。私の態度には責任の曖昧さがありますか。私からの問いかけにほとんどお答
えになっていないあなたの態度に私は疑義を感じずにはいられないのですが。
言うまでもなく、「責任」とは「応答」にその本質があります。「愛」なるものの構成要素の一
つに、他者に対する「責任性」があるのだとしたら、それは全うされなければならないでしょ
う。即ち、他者は常に応答を要求し、命じます。この観点においては、「愛」なるものには「領
収書」などという自己中心的な甘やかしは存在せず、むしろ常に未済の「請求書」のみがうずた
かく積まれ続けるのです。そしてその無限の債務を担うということの一つの実践例がキリストの磔刑における贖罪(思想の展開)だと私は解釈しますが、いかがですか。
[2001年8月1日 18時42分28秒]

お名前: fukatu(オーナー)   
匿名さんへ
>現在はカトリック・プロテスタントいずれともに輪廻も前
世説も否定しています。この点についてはどう思いますか。
 
 神との対話が革命的な理由がここにあると思います。
 原始キリスト教では「生まれ変わり」は、認められていたふしが
強くあります。厳密にいえば、いまのクリスチャンは認めないでしょう。
私は、いまはそれを認めています。これでは、あなたのいう、厳密な意味では
クリスチャンではなくなりますが、キリストを信じ愛しているという意味で
私はクリスチャンであるといっているのです。新約聖書にの、イエスがそれを
知って発言しているとおもわれるものがいくつのありますよ。


>その言葉をユダヤ人が聞いたらどう思うでしょう。600万人以上のユダヤ人をにべもなくガス室送りにした彼のことをユダヤ人が赦すと思いますか。あなたの抱く「赦し」にはそのような想像力が欠落しています。

当然の指摘ですね。私も当初あなたと同じことを考えました。しかし、神との対話の神は、それを超えていっているのではにですか。
 アウシュビッツから生還した、ユダヤ人の神学者/フランクルも、ドイツ人への憎しみを超えていると思いませんか。


 ここで、断っておきますが、私はオーナーだから論議をコントロールしようとは
思わないのですが、議論のための議論は意味を感じません。
 あなたの論方でいけば、永遠に地球に平和はこないように思います。
ユダヤとアラブの「血で血を洗う」戦いの歴史をえんえんと繰り返していきそうです。
そして、最後に、「死」についての、考え方が私とは違っているようですね。

 追伸 こうしたシリアスな問題は、匿名という責任が曖昧になりやすい方法は馴染まないと思います。少なくとも私は立場を明らかにしていますから。
[2001年8月1日 13時36分48秒]

お名前: uno   
っていうか、
もし「パール・ハーバー」が完成度が高い映画だったとしたら、
政治的に問題になって、国どうしもめてしまうと思う。
だから、もっと違う見方をした方がいいかもね。
[2001年8月1日 4時22分43秒]

お名前: uno   
議論白熱中のお二人へ
どの教理を基礎に置いてるかで「天国」「神」などの用語の定義が違ってくるから、
その辺をはっきりさせないと色々誤解を生むんじゃないかな。
ちなみに私の習っていたヨガの先生は「ヒトラーはシャンバラからの使者」
だといっていました。
シャンバラというところは、キリスト教的な「天国」と思われがちですが、
実のところは、大宇宙の法則に従って人間界を破壊することもあるそうです。
だから、宇宙的な意味の愛情は「とにかく何でもOK」
というものでもない、人類の思惑を越えた広大無辺なものなのかなぁ…
と思ったりします。
輪廻転生については、私がお世話になっている座禅の先生によると、
差別相から見れば「ある」し、平等相から見れば「ない」そうです。
平等相はいわゆる悟りの世界だから、私のような修行の足りない人間には「ある」ということかな。
[2001年8月1日 4時17分54秒]

お名前: 匿名   
>なぜかとても政治的な意図を
>感じてしまうのは私の狭量さのせいでしょうかね。
だったら最初から「政治に愛を」とは言わないことですね。
[2001年8月1日 0時51分14秒]

お名前: 匿名   
最初に言っておきますが、私は輪廻については原始仏教同様不可知論の立場をとっています。
あなたはクリスチャンだそうですが、現在はカトリック・プロテスタントいずれともに輪廻も前
世説も否定しています。この点についてはどう思いますか。

それから、「議論」と「論議」はまるきり言葉の意味が違います。

> 「ヒットラー も天国にいるよ」という神の視点からみれば、多くの論議はもっと
>建設的になると思うのですが。
その言葉をユダヤ人が聞いたらどう思うでしょう。600万人以上のユダヤ人をにべもなくガス室
送りにした彼のことをユダヤ人が赦すと思いますか。あなたの抱く「赦し」にはそのような想像
力が欠落しています。

> このBBSは、神との対話を読んで、その考え方をコンセンサスに置いている
> 人を中心に論議がされると思っていたのですが
であるのなら最初に掲示板の利用ガイドとしてそのように書かれるべきでしょう。そもそもが、件の本にはキリスト教の基本的な教義から逸脱する点が散見されます。この点に関してあなたは
何も疑義を感じないのですか。

これらの質問には是非ともお答えください。
[2001年8月1日 0時40分8秒]

お名前: 匿名さんへ   
あなたの問いかけが 私にはあまりすっきりしないのですが。
 このBBSは、神との対話を読んで、その考え方をコンセンサスに置いている
 人を中心に論議がされると思っていたのですが、なぜかとても政治的な意図を
感じてしまうのは私の狭量さのせいでしょうかね。

 「ヒットラー も天国にいるよ」という神の視点からみれば、多くの論議はもっと
建設的になると思うのですが。それと、「輪廻転生」をあなたはどう見ますか。
これの見方次第で、私との論議は大きく変わります。
   では 
[2001年7月31日 23時34分52秒]

お名前: 匿名   
UNOさんへ
そうですね。聞くところによれば、件の映画はなぜか日本ではヒットしているとか。歴史物は当
たらないと言われる日本映画市場では不思議な話です。恐らくタダ券のバラ撒きが行われたのではと。
小泉氏は立派な右翼で9条改憲論者ですし、彼が所属する森派の領袖であるところの森は中曽根
某同様、勝共連合の会員です。
[2001年7月31日 18時56分34秒]

お名前: uno   
アメリカが作った日本の悪口戦争映画が日本で売れたらどうしよう…
と思っていました。
日本人はアメリカ人がいいというものなら戦争認識までいいになってしまうのかなぁ、
と悲観していたので。
確か小泉首相って右翼だよね。
[2001年7月31日 17時28分0秒]

お名前: 匿名   
>パールハーバーは事実上の日本の宣戦布告でしたね。
当たり前です。「事実上」もへったくれもありません。事実として、真珠湾「奇襲」が太平洋
戦争のスタートであったのです。

>それぞれの立場で考えれば、それぞれ に正しいということになる。
なぜですか。これが自分の意見の絶対性を擁護するための安易な相対主義とどこが違うので
しょうか。

>日本の戦争を、単純に侵略戦争とは見ません。これは、きっと論議していても
>平行線になる可能性がありますね。
首相の靖国参拝が問題になるのは、大雑把に言うと、
1.靖国神社には太平洋戦争を指導したくせに戦線には出ていかなかったA級戦犯も祀られている
2.憲法に規定された政教分離の原則に反する
からであって、特に後者が戦前の国家神道との関連で皇国史観などと結びついて東アジア諸国か
らの反感を買うのです。単に戦没者や太平洋戦争で死んだ人を慰霊するのが反対されるというの
であれば、広島や長崎の原爆慰霊式典も反対に遭うはずです。
太平洋戦争が「侵略戦争」のみであるとの見方は私も採用してはいませんが、一方では731部隊
や閔妃殺害事件などに代表される、侵略やあからさまな虐殺が存在していたのは明らかすぎるほ
どの事実です。それについてはどうかお考えなのですか。「アジア解放のためのやむを得ない犠
牲」だったのですか。また、八紘一宇や大東亜共栄圏といったスローガンのうちには明らかに日本を頂点としての植民地主義的イデオロギーがありますが、これも問題ない、ということなのですか。
[2001年7月31日 4時34分45秒]

お名前: オーナー   
「パールハーバー」への私なりの批評をすべきですね。それには残念ながらまだ材料が不足です。ただ今の時点で言えることは、パールハーバーは事実上の日本の宣戦布告でしたね。アメリカにとっては、たとえルーズベルトが「奇襲」事前に知っていても、当然受けてたった(被害を最小にしながら)でしょうね。
 私の言いたいのは、「神対」の神流にいえば、それぞれの立場で考えれば、それぞれ に正しいということになる。問題は、これから何を学ぶか、ですね。私は日記にも書きましたが個人的には、クリスチャンですが「靖国の霊」には敬意を表します。
 日本の戦争を、単純に侵略戦争とは見ません。これは、きっと論議していても平行線になる可能性がありますね。
[2001年7月31日 0時55分34秒]

お名前: 匿名   
それではお尋ねしますが、どちらがどのように偏っているのですか。
バランスをとるとはどういうことですか。また、「でも、異なった意見を両方並べてのバランスではない」としたらどのような認識態度をそれは言うのですか。
[2001年7月30日 9時42分43秒]

お名前: オーナー   
匿名さんへ
「パールハーバー」の鑑賞について とても素敵なアドバイスをありがとう。
全部ではないですが、読みました。何事もどちらか一方の見方は偏りますね。
バランスの中に真実が隠れていることが多いですから。
 でも、異なった意見を両方並べてのバランスではないことは自明ですね。
また メールか書き込みを よろしく
[2001年7月30日 0時37分19秒]

お名前: 匿名   
「パールハーバー」をじっくり見るとはこういうことでしょうか。
                         ↓
http://journal.msn.co.jp/worldreport.asp?id=010612edelstein&vf=1
[2001年7月29日 1時57分30秒]

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