記事タイトル:信用について 


書き込み欄へ
お名前: 匿名   
最後に、知識について一言。

例えば、目の前に耳の聞こえない人がいたとしましょう。そして、その人が道とか何か
を訊ねてきたとします。住所の書いてある名刺かなんかを示して。
で、その時私たちが筆記用具の類を何も持っていないとしたら、私たちはその人にどの
ように必要な情報を伝えたらいいでしょう。おそらくその最有力手段は手話でしょう。

手話は一般的な日常生活では少なくとも「健常者」には必要のないものです。従って、
手話の技術とはある種の「知識」に属する事になります。

にもかかわらず、上に挙げたケースにおいては、「知識」が倫理的実践の手段になり得
ます。そして、「手話できないからゴメンねバイバイ〜」として詫びたつもりになって
逃げを打つのは、その人が普段プロジェクトXとか「知ってるつもり」なんかを観て涙
を流して愛とか何とかエラそーなことを言っていたとしても、所詮それらが自己満足の
おためごかしにすぎないということを結局のところ証明することになります。

上記の例にとどまらず、事実「知識」は倫理を具体化する有力な方法及び契機になり
ます。近代においていわゆる主知主義がかくまでに力を持ったのは、それらの知識が実
際世界の悲惨を救済しうる、少なくともその可能性を現実の世界で考察させうるだけの
存在性があったからです。
いうまでもなく、ただ単にクイズ王の如くトリビアルな知識を溜め込んでオシマイとい
うのでは秋葉原界隈にうごめく魑魅魍魎な皆さんとさして変わらないでしょう。です
が、だからといって「知識はいらない」というのは無知な人間が自己の無知を正当化し
たいという邪悪な動機の自己正当化にしかならないのです。

中世の思想家、ニコラウス・クザーヌスは著書『知ある無知について』(邦訳は平凡社
ライブラリー)のなかで、信仰の究極形態としての無知に致るには、一度知を有して世
界を認識するだけの知性を持たねばならない、ということを言っています。彼が「数学
もやらなきゃダメ」とも同書の中で言っているのは私としてもなかなか耳が痛いのです
が(笑)。それほど分厚い本ではありませんから、まともな本屋さんで探してお求めに
なり、読まれることをお勧めします。

それでは。
[2001年8月27日 19時56分37秒]

お名前: 匿名   
ひとつだけ手引きをお教えしましょう。

「私は神を信じる」と「私はカレーが大好きである」は、命題として取り扱った場合、
両者には大した違いはありません。というか殆ど同じです。
では前者の倫理的卓越性を証し立てるにはどうしたらいいか。それはいかに我々が倫理
を形に示して生きるかという事にかかっているのです。つまり、告白するに足ると思う
だけの信仰を有しているのであれば、それは常に行動でその現実性を他者に示すしかな
いのです。
無論、人間は不完全な存在であり、たまには誤りを犯すこともあります。ですが、それ
に対して自覚的であり続け、そしてできる限り「正しく」あろうと意識し続けてそれを
行動に反映させることは倫理の(ひとつの)基礎としての「信仰」なるものがその人に
おいて受肉化されていることの証明に十分なり得ます。私が問うたのはあなたにその点
において気づいていただくためでした。礼拝をさぼることのエクスキューズを垂れ流し
ているようでは、信仰はもちろんのこと、人として最低限ありうべきひとかけらの正
直(せいちょく)さすら持ち合わせていないのだということを、破廉恥にも誇示してい
るにすぎないのです。

あなたのサイトは近日中に模様替えなさるそうですね。おそらくこの掲示板もそのサイ
トの目的あるいは高邁な理想に沿うような形でリセットされるのでしょうから、せめて
その折は何かしらあなたにとっても幸いなものが訪れればと、とりあえず願っておきます。

一応この掲示板のスレッドはこちらのローカルディスクに保存させていただきました。
何かしら書くべき事があったら、その時にはまた書き込みさせていただくことになるでしょう。
[2001年8月27日 19時40分39秒]

お名前: やまだ   
昨日、ドキュメンタリー映画を見てきましたので、ご紹介・・・
『テルミン』は、ロシアの天才物理学者レフ・セルゲイヴィッチ・テルミン博士の生涯に迫ったドキュメンタリーである。これはラブ・ストーリーであり、スパイの物語であり、人間に対する残忍な行為への道徳的批判であり、そしてこの世のものとは思えないあの音が呼び覚ますノスタルジーである。
■テルミンって?■

テルミンとは、1920年にテルミン博士が発明した、手を触れずして演奏をするという衝撃的な楽器であるテルミン(Termen/Theremin)は1920年、ロシアの物理学者にしてチェロの名手だったレフ・セルゲイヴィッチ・テルミン氏により発明された世界最古の電子楽器。
 テルミンには既存の楽器にみられる鍵盤や指盤が存在せず、代わりにアンテナが二本、垂直、水平方向に備わっている。アンテナの周囲には微弱な電磁場が形成されており、演奏者はアンテナに対し手を近づけたり遠ざけたりすることによりこれを干渉する。電磁場の変化は楽器内部の発振器に作用し、結果、身体の動作により音高や音量の変化を導きだせるのである。ピッチ(音の高さ)を決める拠り所は演奏者の耳にしか求めることができず、一般に演奏法習得は困難とされている。
 しかし熟達した演奏者によれば、昨今の電子楽器では決して得られない、温かい音色感や表現力豊かな演奏も可能となる。上手いも下手も、奏者の個性や心理まで如実に音に反映してしまうテルミンは”残酷な”楽器であるとも言えるが、それは裏返せば人間に任されている部分が多いことに他ならず、弾きこなした際にもたらされる音楽的興奮、演奏する歓びは昨今の画一化した電子楽器では得難いものであるといえる。)。これが世界初の電子楽器の登場で、のちに進化して“シンセサイザー”が誕生した。
どんな音かというと、よく知られているのは昔の恐怖映画やSF映画に使われている、ヒュルルル〜という効果音。『テルミン』の公式HPで、“バーチャルテルミン”を演奏できるのでぜひ!!試してみて!

■天才奇人テルミン博士■

1896年に生まれたテルミン博士は、自分がこの世に産み落とされたときの不快な光を覚えている!(もうこの時点で普通の人じゃないということが感じられますね!)“テルミン”を発明したのは、1920年のこと。1922年にはレーニンの前で電子楽器テルミンを演奏するなど、仲間と共に世界にテルミンを広める。またテルミン博士は楽器だけではなく、警報装置、盗聴器、軍事レーダー、超過敏探査機械なども発明している。どれほど天才か分かり易い例えとして、1926年、当時では最高水準の機械・光学式テレビジョンを開発する!
映画『テルミン』の軸として描かれるテルミン博士の数奇な運命。米ソ冷戦という時代の渦に翻弄されるが、その間にも発明を繰り返していた。晩年には、不老不死の研究を行っていたというから驚き!しかし、誰も出資をする人が現れず成し遂げられなかった。テルミン博士だったら、きっと不老不死すら可能にしていただろうに!また、驚くべきことはテルミン博士は、ロシア人の平均寿命をはるかに超える97年という生を与えられた人なのです(1993年没)。

■テルミンに魅せられた人々■

レーニンをはじめ、スターリン、チャップリン、ヒッチコック、エド・ウッド、レッド・ツェッペリン、ビーチ・ボーイズらがテルミンの不思議な音色に魅せられ、日本においても小山田圭吾、藤原ヒロシらがテルミンに魅せられ購入している!また、“シンセサイザー”を製作したロバート・モーグ(写真右)は、自らもテルミンを演奏する。そして、この映画『テルミン』を監督したスティーヴン・M・マーティンは、テルミンの音色と、そしてテルミン博士自身を心から愛してやまないのだ。私がこの映画の製作を始めた時、一部の変った音楽ファン以外にテルミンを知る人はほとんどいなかった。その当時テルミンは世に知られてない、謎めいた楽器だったからだ。幼少時代に見たSF映画やテレビ番組によく使われていたのでテルミンがどんな音色を出すかは知っていたが、それが一体どんな楽器なのか、ましてや触れずして音が出るとは知る由もなく、キーボードかノブで操作するシンセサイザーか何かかと思っていた。
 1989年1月クララ・ロックモアとの約束をこじつけた私は、ある映画のサントラに曲を提供してもらうため会いに行った。しかし独特な香りのロシアンティーを飲んだからか、テルミンを弾かせてもらってその虜になったからか、それともただ単に彼女の人間的な素晴らしさに魅せられたからか、私はその場で彼女とテルミンについての映画を撮ろうと決意した。
 このような形で、21世紀になって自分がこの映画について書くなど夢にも思っていなかった。私はこの映画を通して、映画の持つ影響力とレオン・テルミンの波乱万丈の人生を後世に残したいという世界中の人々の想い、いや、渇望を感じた。
 テルミンの人生はいろいろな意味で20世紀のいい面と悪い面を両方物語っている。科学技術の進歩と、前向きな生き方がもたらす可能性、そして、国家統制主義の限界に至るまで、それぞれの場面でテルミンは常に鳴り響いていた。また、私がこれを日本公開に向けて書いているというのも皮肉である。巨匠黒澤明監督によれば「言葉で表現できるのであれば映画にする必要はない」のである。「テルミン」はまさにそういう映画だ。テルミンの音なくしてこの映画については語れないのである。
 監督が自分の映画について語ると、どうしても自惚れているように思われる。しかし実際は意図していなかったことが良かったり、逆に計画していたことが失敗に終わるというのはよくある話で、100%自分の満足できる仕上がりというのはまずない。「テルミン」ではそれが110%くらいの仕上がりだった。その出来栄えに一番驚いたのは自分だった。映画を観る人にはいつも、気持ちを楽にして映画に身を任せて下さいとアドバイスする。リラックスして、映画の中の別世界を堪能して下さいと。これはラブ・ストーリーであり、スパイの物語であり、人間に対する残忍な行為への道徳的批判であり、そしてこの世の物とは思えないあの音が、胸につまったいろんな感情を懐かしく呼び覚ますノスタルジーである。 

■『テルミン』は、8月11日(土)より恵比寿ガーデンプレイスにてロードショー!(全国順次公開)
1993年/アメリカ映画/カラー/1時間23分/配給:アスミック・エース

恵比寿	恵比寿ガーデンシネマ	03-5420-6161	8月11日〜
大阪	梅田ガーデンシネマ	06-6440-5977	9月上旬
愛知	ヘラルドシネプラザ	052-241-0936	10月6日〜
金沢	シネモンド	076-220-5007	10月6日〜
兵庫	アサヒシネマ	078-221-5588	時期未定
京都	京都朝日シネマ	075-255-6760	時期未定
福岡	KBCシネマ	092-751-4268	時期未定

一人の人生、感動しましたので・・・
人は生きているという実感です。
喜びも、悲しみも、虐殺も、色々越えて・・・・
興味ある人は是非・・・
[2001年8月27日 10時18分36秒]

お名前: オーナー   
意見人さんへ
 心のこもった真剣なアドバイス ありがとうございます。
 1つだけ誤解があるようですね。これは私の言葉不足が原因ですが、少し足します。
 <傲慢な人間は 自分が傲慢であることがわからない場合が多いですね。
       私も自分では人様が指摘するようには思っていませんでした。家族だけは
       例外でしたが>
 の部分ですが、家族も私が傲慢だ、といつも指摘しています。文脈では、あなたが
いうように家族を自分のエキスキューズに使っているように書いてますが、事実は逆です。
 それと、改めて書きますが、自分はそんなに「プライドが高い人間だ」とは自覚して
ないのですが、正直に答えてくれる下の息子は、その人は正しいよ、といってくれました。自分ではそんな人間の友人にはなりたくないので、私の友人たちはずいぶん寛容な
人たちですね。

 神観については、匿名さんを力んで説得するつもりはありません。自分の必要上してみるつもりです。
 匿名さんと野次馬さんは共通した点もありますが、立脚点はだいぶ違うように見受けます。
 まずは お礼まで 
[2001年8月24日 0時52分55秒]

お名前: 意見人   
プライドの高いオーナー殿へ

どうしていつも「いいわけ」をなさるのでしょう?
いつの時も、オーナーの反省言葉には必ずと言っていいほど「いいわけ」が書かれています。

今回は自分中心的ではないかという指摘に対して、「家族は例外でしたが」と
コメントされています。 みんながどう思っていようが、家族は例外であるということを
言及することにより、自分の言動・行動を正当化したい、自分がある意味では正しいのだ
、間違ってない部分もあるのだと主張したいのだと思いますが、それが何になるのでしょ
うか? 自分はすごいんだぞと言いたい気持ちはわかりますが、その気持ちを少し変えな
いといけないような気がします。 読者は、オーナーの日記および書き込みの意見を読ん
で判断しているのです。 相手を説得するつもりで家族のことを持ち出してきたのなら、
ほとんど意味のない「いいわけ」です。 子供と話していると同じような場面になること
がよくあります。 子供をしかりつけるときに、子供は「でも、○○の時にはちゃんとや
っているよ」と言って、心から謝ろうとせずに別の面ではうまくやれることを強調して自
分はある意味ではちゃんとしている、すごいんだぞということを大人にアピールすること
がよくあります。 オーナーの文書を読んで、そんな情景を思い浮かべてしまいました。

それともう一つ。 「これ(人は人を理解するのは家族であってもむつかしいと思ってい
ること)は愛していないからではないのです。愛しているから話せないということが現実
にあるからです。」とおっしゃってますが、愛しているから話せないことがあるというこ
とは、何とも思っていなければ話すということになります。 なんかおかしいと思いませ
んか。神の愛はすべての人に平等に注がれているはずです。 そして、私たち個人個人は
みんな神の分身ですよね。 ですから、基本的に家族であろうとなかろうと差別的な見方
は本来おかしいのです。 この観点から、オーナーの書き込みを読みますと、愛の本質が
わかってないと判断せざるを得ないことになります。 どうして、そこまでしてプライド
にこだわるのでしょう。 くだらないメンツにこだわって、プライドを捨てられない(と
見受けられます)オーナーには、もはや何を繕っても意味がないと思います。 すべてを
捨て去ることが必要ではないでしょうか。

よけいなお世話だとは思いますが、匿名さんと野次馬さんに、神観 愛について公表する
とむきになっておられるようですが、いままでの対話内容から判断して、オーナーには彼
らを説得するというか、理解されるような対話をすることが不可能であることは明白です
。 彼らもそれを知っていてオーナーをけしかけているのです。 はっきり言ってオーナ
ーの文書は矛盾だらけというよりも、思いこみによる説教的な説明だらけです。 それで
揚げ足をとられることになるのでしょう。 それに対してまたむきになる。 プライドが
あるから。 オーナーの友人たちも彼らを相手にするなと言っているようですが、そんな
オーナーを知っているからでしょう。 私がもしオーナーの友人であったなら同じような
アドバイスをするでしょう。 「相手にするな」の真意は言わないでね。 だってプライ
ドが高いから。

このメールを書いてもオーナーは特に考えを変えることはないと思いますが、あまりに貧
相な書き込みをされていたので、またしても意見してしまいました。 きついことを言っ
たかもしれませんが、こういう言い方をしないと、たぶんオーナーは真意をわかってくれ
ないと思い、正直に書きました。
[2001年8月23日 23時43分15秒]

お名前: 匿名   
★野次馬氏

>以前、「じっくり見る」で、匿名さんからオーナーへ下記のような質問がありまし
>たね。
追加項目もあります。以下コピペにて列記。

1. 『カラマーゾフの兄弟』における有名な大審問官の場面における件のセリフは、デ
カダンの告発ではなく、いわゆるひとつの問題提起にすぎないというのが通説です。こ
れはその後に企図されていたアリョーシャの話を関連させれば明らかなことです(これ
はほとんどの邦訳文庫版に書かれています)。これをあなたはどうしてデカダンである
とおっしゃるのでしょうか。
2. あなたは私の知的・倫理的態度が「私は日本人の場合、この不可知論は知的な誠実
さというポーズをとった「無神論」ではないかと疑っている。」と疑義を呈しておられ
ますが、これはなぜですか。また、あなたのいうところの「無神論」とは何ですか。パ
スカルは『パンセ』の中で、いわゆる無神論も一種の信仰であると言っていますし、ニ
ーチェも『善悪の彼岸』(だったかな?)の中で、通俗的な意味での唯物論的無神論は
ただの僻み根性の賜物にすぎない、と言っています。これらについてあなたはどうお考
えになりますか。
3.私は当初は神学的な事柄については披瀝していませんでした。にもかかわらずあなた
が輪廻に関する問題で原始キリスト教を引き合いに出されたので、私はその根拠及び参
照となるものとしてオリゲネス(確か彼の著作断片は平凡社の『中世思想原典集成』に
収録されているはずです)などを示したのですが、にもかかわらず私があなたを知識の
多寡で打ちひしぐことを意図しているが如くに日記でお書きになることについては、ど
のような連関があなたの抱いておられる「愛」との間にはあるのでしょうか。
4.あなたはご自身がジャーナリズム畑の人間であるとおっしゃっていますが、だとすれ
ば尚更政治的問題に関する造詣は私などよりもずっと深いはずです。にもかかわらず小
泉首相の靖国参拝問題についての議論であなたのご意見をご披露なさらないのはなぜで
すか。また、「政治に愛を」というあなたのお考えについても私はその具体的内容を伺
っておりません。これについてもつまびらかにお教えください。
5.ニーチェについて、「神は死んだ」の本義は分かりましたか?
[2001年8月23日 0時34分21秒]

お名前: オーナー   
みなさま 本日も活発な意見をありがとう
 オーナーの人となりは 他人には実によくすけて見えるのですね。
 傲慢な人間は 自分が傲慢であることがわからない場合が多いですね。
 私も自分では人様が指摘するようには思っていませんでした。家族だけは
例外でしたが、これも私流に解釈すると 人は人を理解するのは家族であっても
むつかしいと思っています。これは愛していないからではないのです。
愛しているから話せないということが現実にあるからです。
 おっと 話がそれました。
 神と愛について 独断で物言いをするな というご意見でしたね。
 私も きっと偏見の強い人間ではと自戒していますので、極力傲慢に
はならないよう気をつけています。また傲慢になるほど自信もないのです。
 ですが 匿名さん 野次馬さん たちの勧めもあるのでちかいうちに
わたしなりの 神観 愛について 意見を公表するつもりです。
 愛については 拙著を公表していますので、希望者には無料で提供します。
 では また 
[2001年8月23日 0時20分2秒]

お名前: 意見人   
オーナーさん けんかを売るつもりはありませんが、ちょっとだけ意見します。

1.神、愛について説明または言及されていますが、文章を読む限りでは、自分中心の発言
が多いように思います。 そのことについて友人の方からも指摘されているようですが、反
省されているのかいないのか、文章を読む限りでは、相変わらず自分中心の考え方は変わっ
てないと見受けられます。 たぶん指摘された直後は自分を振り返られるのでしょうが、す
ぐに忘れるのでしょうか? そのため、「信用を失う」とか指摘されることにつながってく
るのでしょう。

2.私自身も神との対話を読みました。 非常におもしろいと書くと不謹慎ですが、いつも
悩んでいたこと、たとえば、神がいるなら、なぜこの世に不公平があるのだろうかとか、な
ぜ罪もない人たちが殺されていく事実があり得るのだろうかとかの、愛の矛盾について少し
答えが見えてきたような気持ちです。 ですから、これはお願いですが、どうかオーナーの
偏見で解説をしないでもらえないでしょうか。 愛について説明しないでもらえないでしょ
うか。 たぶん、この辺のオーナーの独りよがりが、反感を買う原因のひとつだろうと思い
ます。

3.誰かがオーナーのことをいい加減な人物と評価しており、それに対してオーナーは実に
観察力があり、その通りであると確か日記に書いていたかな? しかし、オーナーのホーム
ページをみていれば、たぶん誰でもそう思うと思います。 私もそう思っています。
そのいい加減さを特に直そうとは思ってないみたいなところから、自分に自信を持っていて、
プライドが高く、自分で思いこんだら、それが正論であり、神の意見と一体であると疑わな
い怖さを感じます。 その傲慢さに気づくことはできないのでしょうね。 たぶん、オーナ
ーは苦労人だと思いますので、それを乗り越えてきたその自信がそうさせるのでしょう。
[2001年8月22日 23時57分32秒]

お名前: 匿名   
おかしいな。また二重書き込みになってしまいました。
お手数をお掛けしますが片方削除しておいていただけますか。お願いします。
[2001年8月22日 22時51分23秒]

お名前: 匿名   
というわけで出てきました。でも明日からまた数日間家を空ける予定なんですよ。困っ
たなあ。一応元スレッドの方にはレスを付けておきました。誤解が解ければいいので
すが。誤読に基づく誤解だったら128恒河沙回されても別に「屁」ぐらいにしか思いま
せんが。でもそういうのがWebに存在しているということはサーバースペースの無駄遣
いなわけで、きっちりとオトシマエ付けさせてあげる方がいいのかとも思ったりするわ
けで。何だか知人(別スレッド参照)の現状も多少気になったりするけど連絡ないから
腹立たしかったりするわけで。うちのWebサイトのアクセスも最近は少なくて少し寂し
いわけで。

何愚痴ってんだ俺。

ちなみに「野次馬」氏と私は違います。それはこのページのソースに書かれているUSER_AGENT
の情報を見れば分かるかと。私Macなんか持ってませんし、買うつもりもないですし。

>このままですと、このHPを訪問した人々に、「だらしの無い男」、「信用のない
>人間」、「誠実でないオーナー」というレッテルを貼り付けられてしまいますよ。
プラトンさんはそういうレッテルを貼りつつあるような気もしますが。まあいいや。
[2001年8月22日 22時50分33秒]

お名前: 匿名   
というわけで出てきました。でも明日からまた数日間家を空ける予定なんですよ。困っ
たなあ。一応元スレッドの方にはレスを付けておきました。誤解が解ければいいので
すが。誤読に基づく誤解だったら128恒河沙回されても別に「屁」ぐらいにしか思いま
せんが。でもそういうのがWebに存在しているということはサーバースペースの無駄遣
いなわけで、きっちりとオトシマエ付けさせてあげる方がいいのかとも思ったりするわ
けで。何だか知人(別スレッド参照)の現状も多少気になったりするけど連絡ないから
腹立たしかったりするわけで。うちのWebサイトのアクセスも最近は少なくて少し寂し
いわけで。

何愚痴ってんだ俺。

ちなみに「野次馬」氏と私は違います。それはこのページのソースに書かれているUSER_AGENT
の情報を見れば分かるかと。私Macなんか持ってませんし、買うつもりもないですし。

>このままですと、このHPを訪問した人々に、「だらしの無い男」、「信用のない
>人間」、「誠実でないオーナー」というレッテルを貼り付けられてしまいますよ。
プラトンさんはそういうレッテルを貼りつつあるような気もしますが。まあいいや。
[2001年8月22日 22時50分32秒]

お名前: オーナー   
こんにちわ みなさん
 オーナーは事務員みたい、というのはいいえて妙ですね。
 野次馬さんのは顕然なアドバイスととりましたが、匿名さんの
文脈に通じる表現があったようですが、とかく男性は理性的な人は
共通する表現をするので 誤解を生んだのでしょう。
 とりあえず いまは時間がないので 互いに建設的な意見交換の場
として活用してくださるようお願いします。
  では
[2001年8月20日 12時51分15秒]

お名前: 野次馬      
匿名さん、出ておいで。

何か、私の書き込みが匿名さん側に立っている様に受け取られた為か、野次馬=匿名さん
と勘違いされた方が、おられるようですね。
私の立場は、どちらの味方でもなく、中立ですよ。
オーナーの言っていることも理解できますし、匿名さんの言っていることも理解できます。
全てではありませんが。

匿名さんの性格は、このような回りくどいことをするとは思えません。

匿名さん、誤解が定着する前に 早く出てこられたらいかがでしょうか。
出てこないと、匿名さんが野次馬になってしまいますよ。

Jhon doさんの文章ですが、どうも私のことを揶揄されているようですが、何か文章が支離滅裂
で、意味が良く分かりません。    
どういう理由で、「アイルランドの紛争」、「人が死んでも」、「責任転嫁を栄養」、
「イスラエル」、「カシミール」という言葉が出てくるのか、私の書いた文章との関連が、
さっぱり理解できません。
このような言葉が出てくると言うのは、Jhon doさんがいつもこのような闘争に関心を持ってい
る為なのかな〜と感じましたが・・・。
ひょっとして、あなたの(闘争的な)心を見ているのかもね。
[2001年8月20日 12時33分9秒]

お名前: Jhon do   
ここは学校ですか。どなたが校長先生ですか。

オーナーは事務員のように感じますので・・・

でも自由学校のようにも感じる。

あの世の神様が、校長ですか?

野次馬さんの言葉に、テレビや、新聞雑誌に出ている、アイルランドの紛争を思い出しました。諍いのあるところにいつも出てきて、火をつける人のように感じました。
野次馬さんはいつの間にか逃げ隠れ・・・

次はイスラエルに出かけたり、カシミールに出かけたり・・・

人が死んでも、知らんぷり野次馬さんみたい・・・・

責任転嫁を栄養としている、野次馬さんですかね。

ちょっと、通りすがりに書いてみました。
[2001年8月20日 11時57分54秒]

お名前: よよよ   
私には、野次馬さんと匿名さんが同一人物に思えてなりません。
行変えの特徴や、文章構成が殆ど一緒です。
匿名さんがネットから離れて、帰って来ると言っていた同時期に
掲示板に登場し、あれ以来匿名さんの方はお休み中で・・・
[2001年8月20日 1時49分29秒]

お名前: ○○○   
私には、野次馬さんと匿名さんが同一人物に思えてなりません。
一人二役を掲示板で演じているのかな?
匿名さんがネットから離れて、帰って来ると言っていた同時期に
掲示板に登場し、あれ以来匿名さんの方はお休み中で・・・
[2001年8月20日 1時48分44秒]

お名前: 野次馬      
オーナーさん、お返事有難うございます。

「友人達の多くは 実りのない論議は打ち切ったほうがいいというアドバイス」
とのことですが、あまり友人の意見ばかり気にしすぎますと、「ロバと旅人」のイソップ寓話
のように、最終的にロバともども川に転落してしまいますよ。

匿名さんが、このような質問をされたということは偶然ではないと思います。
オーナーさんのハイヤーセルフ(魂)がオーナーを鍛える為にやっている可能性もあります。
少なくとも、以下の質問に答えることは、決して無駄にはならないかと思います。

5. 『神との対話』はなぜ革命的なのか。客観的に説明してください。
6. あなたが繰り返している「愛」とはその本質において何か。
7. あなたが繰り返している「神」とはその本質において何か。

文章が長すぎて、この掲示板で書ききれないようでしたら、別のスペースを作ってそこで
発表したらいかがでしょうか。一度チャレンジしてみたらいかがですか。
オーナーが持っている ありとあらゆる知識と智恵を総動員して、上の質問に答えてみて下さい。

このままですと、このHPを訪問した人々に、「だらしの無い男」、「信用のない人間」、
「誠実でないオーナー」というレッテルを貼り付けられてしまいますよ。
[2001年8月19日 17時33分9秒]

お名前: オーナー   
野次馬さん
 ご意見ありがとう。全部無視しているわけではありませんよ。
いくつかは私なりに答えたのですが、匿名さんが納得せず再度
質問という形になっていると思います。
友人達の多くは 実りのない論議は打ち切ったほうがいいと
いうアドバイスですが、いずれにしてもそうした意志表示は
するつもりです。
  とりあえず お礼まで
[2001年8月18日 21時11分8秒]

お名前: 野次馬   
オーナー様:

以前、「じっくり見る」で、匿名さんからオーナーへ下記のような質問がありましたね。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

1. あなたは私との議論を「ディベート」と言ったが、それはなぜか。
2. 私の議論のどこが「言葉をもてあそんでいる」のか。
3. あなたの主観のみに依拠した「信仰」は命題「私はカレーが大好きである」とどの
ような点で異なるのか。
4. 真の知識とはなにか。偽物の知識との差は何か。真の知識が信仰を深めるとしたら
それはなぜなのか。そしてあなたは真の知なるものを有しているのか。
5. 『神との対話』はなぜ革命的なのか。客観的に説明してください。
6. あなたが繰り返している「愛」とはその本質において何か。
7. あなたが繰り返している「神」とはその本質において何か。
8. あなたは自らがクリスチャンであるといいながら、ミサにも行っていなければ三位
一体も信じておられないようであるが、この矛盾はどのようにすれば解決できるのか。
9. あなたにとって主観とは何か。
10. 仮に来世があるとして、その意味においてあなたの現世はどのような価値付けと意
味付けを与えることが可能だと思うか。
11. では来世がなかったとしたら、その意味においてあなたの現世はどのような価値付
けと意味付けを与えることが可能だと思うか。
12. 信仰とは宗教にとって何か。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

この質問に対して、オーナーさんは何一つ答えていないようですが。
議論好きの匿名さんのやり方にも、多少行き過ぎた点があるかとも思いますが、
少なくても、この掲示板の管理者に投げかけられた質問を無視するようなことは、
あまりにも無責任な態度かと思いますが。

あまりにも難しすぎて答えられない質問の項目に対しては、そのように素直に答えれば
良いかと思います。
だけど、全ての質問が答えられない という事はないと思いますが。
オーナーにとって、関心のある項目も沢山あると思います。

このまま、匿名さんの質問を無視し続けますと、オーナーの信用は日増しに低下し続ける
かと思いますが・・・。

この掲示板は、一般に開放されておりますので、尚のこと責任を果たすべきかと存じます。
忙しくて、質問に答える暇が無いというのならば、このような掲示板は廃止した方が好ましい
かと思いますが。

建物だけあって、中身がないと そのうち廃墟になり 魑魅魍魎の妖怪の住処となりますよ。
[2001年8月18日 18時5分33秒]

このテーマについての発言をどうぞ。
氏名
E-mail URL


半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。
記事一覧に戻る