添削 ―― 某通信添削・元小論文添削者がお届け。

これはふかつふみお氏の2001年9月13日付の日記を添削したものである。大まかな基準については某大学受験系通信添削の小論文採点基準に準拠した。
なお、これを添削してみたのは、彼の日記における修辞上の混乱、論旨の破綻などについての具体例を示すためである。彼の日記は掲示板における論争後、幾分か人様の目を気にするようにはなっているのだが、それでもこの体たらくということがおわかりいただけるかと思う。深緑でイタリックになっているところはいずれも氏の日記からの引用である。



「米国を襲った史上空前のテロ事件に、言葉をなくしている。米国人ではないから直接怒りの感情はわいてこないが、イエスではないが「神よこの十字架(空前の惨劇)の意味はなんですか」と問いたい気持ちだ。」
犠牲者にはおよそ20人の日本人も含まれている。それは周知の事実であるから、「直接怒りの感情」が沸かないとすれはそれはただ単に自らの知的怠惰をさらけ出しているに過ぎない。また、当の犠牲者がアメリカ人であるから怒りが沸かないのだとしたら、それは人間を国籍で切り分けているとの批判は逃れ得ないだろう。これがアガペーとしての「愛」とは矛盾しないのだろうか。
(−10点)

「米国のメディアは「パール・ハーバー」に例えて報道する機関もあるようだが、それは真相を突いているとも思えない。この事件の異常性は、表面的に見れば、日本の「神風特攻隊」を連想させるだろう。」
「真相を突いているとも思えない」のはなぜか。続く文では、その理由を説明するのが一般的である。なぜならば、米国のメディアが真珠湾奇襲を引き合いに出すのは、
  1. それが予告なしで行われたこと
  2. 米国本体への奇襲であり多くの人命が失われたこと
という理由があるからである。それに反論をしていないという点で、この箇所は説得性を欠く。
(−10点)

「この事件の異常性は、表面的に見れば、日本の「神風特攻隊」を連想させるだろう。自己の命を「大儀の前に殉ずる」という点で似ているからだ。ただ、なにが大儀か(正義か)で、人類はいつも「戦争をしてきた」。」
×大儀→○大義
(−1点)
「殉ずる」は自動詞なので、使役にするべき。
(−3点)

「表面的」というからには、深層からの読みを提示することが必要である。にもかかわらず、君の文章ではそれが行われていない。
(−10点)

また、「ただ、なにが大儀か(正義か)で、人類はいつも「戦争をしてきた」。」というくだりは、具体例が示されていないため、説得力がない。また、歴史を俯瞰してみれば、戦争の当事者はそれぞれに大義名分を掲げて戦争を始めることがわかるだろう。ここで問題となっているのは「何が正義か」ではなく、正義という概念・理念の濫用であって、むしろ問われるべきは殺しあいという現実を理念の美名で隠蔽することの欺瞞性である。
(−10点)

鍵括弧で指定するのは
  1. 引用
  2. 本などの題名
  3. 語義に特別な意味を(反意的になど)付与する場合
に限られる。「戦争をしてきた」のは事実でしかないのだから、ここで鍵括弧を使用する意味はない。
(−3点)

「ブッシュ大統領は「声明」の最後で、これは「善と悪の戦争だ」と断言している。この発想は、事件が提起したものを解決するどころか、アメリカを「ベトナム戦争以上の惨禍」に導く可能性もあるのではと予感する。」
予感は根拠を示さなければただの妄想になってしまう。アメリカがしばしば標榜する善悪二元論(そして自分はいつも善玉)という思考法は確かに世界の現実を複眼的に把握する際の妨げとなるし、そんなに世界は単純にはできていない。だが、そのような思考方法が直接的にベトナム戦争におけるような泥沼を引き起こしたとは考えにくい。というのも、ベトナム戦争においては北ベトナム側に共産圏陣営がついており、積極的な武器支援を行っていたからであり、北ベトナムの兵士は地の利を利用した積極的なゲリラ戦術と麻薬の利用で完全重武装のアメリカ軍を翻弄し骨抜きにしたからである。つまり、ベトナム戦争の泥沼化を招いたのはアメリカ側の思考様式の問題もあるが、実質的には戦略・戦術両面での密林戦に対する認識の甘さである。事実、似たような発想が維持されていた湾岸戦争では多国籍軍の圧勝であった。そして、戦争とはそういうものである。
(−10点)


「イスラエルとアラブの戦争が、「アメリカとアラブ」という構図に変化する可能性はないとはいえないからだ。」
もうなっているからこそアメリカがテロの標的にされたのである。もう少し現代史をしっかり勉強しよう。
(−15点)
 
「願わくば、アメリカが怒りをできうる限り短い期間に昇華してくれることを祈ろう。」
「昇華」とは精神分析用語で心的抑圧などを現実的な行動に転換してその解決を図ることである。そのカテゴリーで判断するのであれば、アメリカにとっての「昇華」とは軍事行動に他ならない。また、怒っているのはアメリカだけではなくイスラム側もそうである。そうでなければ、いくらなんでも自爆テロなどという最終的な手段には出ることはない。イスラムの怒りを招いたのは、むしろイスラエルなのであり、それを経済的・軍事的にバックアップしているのがアメリカなのである。
(−15点)

「このテーマは、本当に日記で書くには重すぎる。」
では書かなければいい。さもなくばもう少し中東現代史を学んでから書こう。
(−5点)

「アメリカと富める国々の、真実の意味で「愛と正義が試されている」と思う。 怒りは最後には自分自身を滅ぼす。」
「真実の意味」とはどういうことか。また、「愛と正義」とは何なのか。むしろ、アラブ・イスラム勢力とイスラエル・ユダヤ勢力の衝突の理念上の問題点は少なくとも両者が超越的観点からは妥当しうるとしかいいようのない「正義」を有しているところにある。これは「愛」もまた然りであり、イスラエルとアメリカに大打撃を与えることで、少なくとも一時的にはパレスチナ問題について世界の耳目を集めさせることになるわけだから、パレスチナに住み、現にイスラエルの「国家テロ」に打ちひしがれている人々にとっては今回のテロは「愛」の実践と映ることもまた事実なのである。
(−20点)

「神よ、アメリカの怒りを鎮めたまえ! アーメン 合唱」
×合唱→○合掌(−1点)
怒っているのはアメリカではなくむしろイスラム・アラブ側である。しかも、その根の深さは君の想像をはるかに超えていることだけは理解しておいた方がいいだろう。
(−10点)

というわけで、−23点。なんと、零点を割り込んでしまいました。合掌。